夢現奇譚 本編シリーズ長編

天昇

                                                                                              TopIndexBackNext

3.
  姐貴(ジエ)が用意した別宅は、紅麗の中心街から少し離れた、雑木林の中の小道沿いにある二層の楼閣だった。ここでは魔除けである『紅麗』の灯りがふんだんに焚かれていて、夜の林の小道だというのに視界が明るい。
 またこの辺りは富者の別宅や専用の私室などが集まっている地域であるためか、個人用の高価な『紅麗灯(くれいとう)』と呼ばれている、細くしなやかな竹の棒を丸く組み、薄い紙を貼り巡らせて、その中に『紅麗』を入れて燃やしたものを手に持って歩いている者も多かった。
 姐貴は別宅を管理している者に、寝床と食事の準備を命じると、共に食事が出来なくて残念だねぇ、と言いながら、部下に迎えられて早々に紅麗の中心街へと戻っていった。
 中心街は夜から明け方までが、特に賑わう時間帯だ。姐貴の宿も今から書き入れ時だろう。色街界隈の猛者(もさ)達も彼女の指揮の下、紅麗の街の見廻りに動き始める。活気づく時間帯は、問題や小競り合いも多い。猛者達が目を光らせている為か、大事になることはないが、それでも無ではないのだ。場合によっては(とう)である姐貴が出て、賊の討伐に当たることもあるという。頭も猛者達に負けず劣らず猛者であるのだ。
 竜紅人は食処(しょくどころ)で用意された夕餉(ゆうげ)を頂きながら、物思いに更けていた。
 長卓子(ながづくえ)の上に人数分の食事が次々と運ばれてくる。
 竜紅人の隣には香彩が、そして香彩の向かいに療が座るというのが毎回の定番の座り位置だ。麗城で食事を取る時も同じで、ここに更に二、三人、増えることもあり、とても賑やかだ。それが三人になったところで、特に賑やかなのが香彩と療のふたりなので、やかましさは城にいる時と対して変わりはない。もっとも、竜紅人、香彩、療の三人以外の同席者からすると、竜紅人も同類である。
 香彩と療はたわいもない話をしながら、次々に用意された夕餉を平らげていく。その様子を見ながら、竜紅人は静かに夕餉を食べていた。どうもこの三人で食事や行動をしていると自分は無意識に見守る側になるらしい。きっと香彩と療を止める人間が竜紅人しかいないからだろう。
「竜ちゃん、どうしたの? 何か静かだけど」
「本当だね、どうしたの?竜紅人」
 夕餉をほぼ平らげて、締めの香茶を飲み始めていた香彩と療が言う。
 同じように香茶を飲んでいた竜紅人は、それを飲み干すと椅子を引いて立ち上がった。
「ほら、食べたのならもう休むぞ。明日は早朝に出発する」
 不思議そうに顔を見合わせている香彩と療に一瞥して、竜紅人は食処から出て行った。





 案内されたのは二層目にある来客に使われる部屋だった。
 紅の柱と梁、漆喰の壁に合う深みのある茶色の調度品や家具が置かれ、この辺りでは珍しい寝台があった。また見事な装飾が彫られた格子窓は、部屋の空気の入れ替えのためか今は開けられていた。
 ここから漏れる蒼い光は、月の光だろうか。
 中央の卓子(つくえ)には小さな『紅麗灯』のほのかな灯が置かれていた。時折格子窓から入る緩やかな風が、炎を揺らす。
 竜紅人は少々乱暴に椅子を引いて座ると、まるで力が抜けていくかのような溜息をついた。
 部屋は贅沢にも個別に用意されてるようだった。それが却ってありがたいと竜紅人は思った。どうも香彩と療を見ていると思考を乱される何かがあるらしい。自分の考えが纏まる前に、心を配り叱責してしまうのだ。
(……俺もまだまだ経験不足、か)
 実年齢は115歳の竜紅人だが、実際には動き始めてからまだ15年しか経っていない。100年間は繭の中でたゆたいながら知識を蓄えていたに過ぎず、実際の経験は肉体を得てからの15年間だけだ。  実経験がなく知識が豊富の状態は、空虚で危険だ。竜紅人はそれを身を持って味わった。味わって知ったからこそ、竜紅人は香彩を城から連れ出し、色々と経験させようとした。だが、それも日帰りや長くて1日。旅という形で香彩が城を離れるというのは、実のところこれが初めてだった。

  ――――やつらは周到だ。有名な役職付きの子供が、夜に『外』に出たとなれば、どうなるかは明白だろう?

 姐貴の言葉が頭をよぎる。療は揶揄と捉えたように見せかけていたが、言外を分かっているだろう。だから何も言わず、竜紅人の最終的に伝手を頼る方法に従ったのだ。
 竜紅人は再び大きく溜息を付いた。
 ふと。
 竜紅人は部屋の入口の引き戸を開ける。そして辺りを見回して再び引き戸を閉めた。
 誰もいなかった。
 そのはずだ。
 竜紅人は気配を探る。香彩と療は案内された部屋に別々にいた。部屋の中の気配を探っても何もない。
(だが……確かに)
 呼ばれた気がした。
 とても懐かしい声で呼ばれたような気がしたのだ。

 



 療は案内された部屋に入ると、すぐに寝台に寝転がった。
 お腹が満たされた後に、ごろりと出来るささやかな幸せを噛みしめるかのように、うんと背伸びをする。
 療にとって今日のここまでの旅路は、旅と言えるほどの距離ではなかった。その気になれば二刻、三刻ほどの時間でたどり着いてしまう距離だ。ましてやここ紅麗は使いでよく来る場所であり、いわばまだ『日常の一部』に過ぎなかった。
 だが少し気怠く疲れてしまったのは、竜紅人や香彩と共に歩いたからだろう。普段はあまり意識しないが、やはり共にいる時間が長いと、どうしてもその神気と術力に疲弊してしまう。
(……オイラは疲れるだけだけど)
 彼らは身を宿る『力』によって自身を防護している。療もまた極力抑えてはいるが、やはり完全ではない。
 魔妖の持つ妖気は、当たり続けると体調を崩し、人を徐々に死に至らしめるのだ。
 防護の『力』は療を疲れさせるが、ただそれだけだ。
 部屋の中に、少し冷たい風が入り込む。
 格子窓の向こうに月が見えて、療の転がる寝台を照らしていた。
 それの何と心地良いことだろう。
 月の光は療を含めた魔妖にとって栄養源だ。光を全身で取り込み、喰らう。人と同じ物を食べることも好きな療だったが、月が出ない間の非常食のようなものだ。
 そしてもうひとつ、月の光によく似た光を持つ『力』も療にとって栄養源だった。
 それは縛魔師が持つ命の源、『術力』だ。最大の栄養源でもあり、疲弊対象でもあり、また攻撃されると深手を負う諸刃の剣だった。
 そして神気は術力と違って、取り込むことも出来ず、体を内側から瓦解させる毒の様なものだ。ただ魔妖は元々身体の作りが人のそれよりも遥かに丈夫に出来ているので、すぐに症状が現れることはないが、長い時間をかけて蝕んでいく。
 療は目を閉じて深く息を取り込み、吐き出す。
 月の光の影響か、療の額に文字が浮かび、淡く光り出した。
 近々、自分達は鬼族の縄張り範囲の近くを歩くことになる。出来ることなら遭遇したくない。香彩と竜紅人が一緒ならば、鬼族はふたりが持つその『力』に触発されて、必ず襲い掛かってくるだろう。
 仲間と同胞の死闘。
 心の中で複雑な思いが渦巻く。
 いつの間にか療は、寝息を立てて眠りについた。

 





「……少し、いいか。香彩」
 引き戸がとんとんと音を立てて、部屋の外から声が聞こえた。
 どうぞと声をかけて香彩は迎え入れる。
「どうしたの竜紅人。もう寝たのかと思ってた」
 香彩は椅子を引いて竜紅人に座るように促す。
 食処から一番初めに引き上げ、部屋に入ったのは竜紅人だった。
 普段より物静かで食事の量も人並み、しかも早めに床についた竜紅人を、香彩は心配していた。
 食処で貸して貰った香茶の一式を卓子に置いて、香彩はお茶を煎れ始める。椅子に座った竜紅人の様子からすぐに話が始まらないと判断したからだ。
 現に竜紅人の方へ香茶を置くと、竜紅人は小さくすまないと呟いて、一口啜って大きく息をついた。  今の竜紅人のような表情に、香彩は心当たりがあった。
 そう、相談人だ。
 『大司徒』の執務室で一日に数人、身の回りで起こる不思議な現象や、魔妖のことなど、相談に訪れる者達の相手をするのも縛魔師の仕事のひとつだ。相談人は消化出来ないものを腹に抱えたような、複雑な顔をしている。そして相談に来たにも関わらず、中々本題を話そうとしないのも特徴だった。
「ところで何でこんな所に香茶の一式があるんだ?」
 竜紅人も例外に漏れずそうらしいと判断した香彩は、焦らずに敢えてしばらく聞き役に回ることにした。聞き方を工夫すれば、おのずと話してくれるだろうと、何となく経験で理解していたのだ。
「さっき食処から借りてきたんだ。寝る前に少し温かいものが飲みたくて」
「確かに落ち着くな。だけどお前大丈夫なのか? これ香茶だろ? 眠れなくなるんじゃないのか」
「そこまで子供じゃないよ」
「知らないぞ、明日起きれなくなっても」
「竜紅人は? 香茶飲んでも大丈夫なの?」
「眠れなくなるって? それこそ子供じゃあるまいし」
 竜紅人が無言で湯呑を差し出した。苦笑しながらも香彩は湯呑に香茶を注ぐ。そして自分の分も淹れて、竜紅人の横に椅子を置いて座る。竜紅人が怪訝そうな顔をしたが構うことなく、香彩は竜紅人に一番近い距離で、彼に向き直る。
「じゃあ、子供じゃない竜紅人が眠れない理由は何なのかな?」
 やっぱり香茶?と竜紅人を覗き込むようにして香彩が言う。
 はっと竜紅人が目を見張る様子を見て、香彩は湯呑を持つ竜紅人の手の前に、自分の手を翳した。
「触れて、『視』てもいい? 竜紅人」
 何も言わない竜紅人に了解の解釈で、香彩は竜紅人の手をそっと湯呑から外し、握った。
 香茶のぬくもりが、まだその手には残っていた。
 視線は竜紅人を外さない。
 竜紅人の伽羅色の瞳の、その奥に眠る光を見据えるかのように。
「……知っている声に、呼ばれた気がした」
 ぼそっと呟く竜紅人に、香彩が頷いた。

  彼の中にある、とても大きな光の流れ。
 その根底に眠るのは。
 見覚えのある、翼。

「竜翼……?」
 香彩が竜紅人の手を放す。
 これ以上は『視』ることが出来なかった。その光の奔流に飲まれると、引きずり込まれ、取り込まれそうなそんな強さの流れが、竜紅人の中にはあったのだ。
「大きく広げた、竜翼が『視』えたよ。だけどそれ以上は……」
 ごめん、と香彩が竜紅人に頭を下げる。
 しばらくぼぅと呆けていた竜紅人だったが、はっと我に返ったかのように椅子から立ち上がる。
「こちらこそ、すまん。気を遣わせた」
 そして少し冷めてしまった香茶を飲み干すと、竜紅人は部屋を出て行った。
 香彩は小さく溜息を付くと、淹れてあった香茶を一口飲む。
 兆しは示された。
 竜紅人ならばきっと自分の中で消化できるはずだ。
 普段は見ることのない竜紅人の姿に、少し戸惑いを残しながら、香彩は寝床についた。

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