夢現奇譚シリーズ短編

 咎人
                                                                                     pege top     index

 それは共犯に近い、ふたりが共有した罪と秘密だった……。



 城下街、紅麗(くれい)。 
 麗城から少し離れた位置に存在するこの街は、麗国の中でも一番の賑わいと人が溢れる、首都とも言える街だ。
 その広さは街道とそれを取り巻くように建つ小さな集落や宿を含めると、国を四つに割った内の一つ分程になる。街道は少しずつだが工事され、今では南の国の国境でもある大きな山脈の麓にまで広がっていた。
 街道とそして街のいたるところに、『紅麗』と呼ばれる、魔除けを施した紅の紙を燃やす燈籠があり、人々を魔妖から護っている。『紅麗』 がある場所での旅は比較的安全であり、また足元の見えない夜道を照らしてくれる街灯の役割も果たしている。
 この街の名はこの『紅麗』からついたものだ。夜になっても決して眠ることのない、燈された『紅麗』の明かりが、ぼんやりと夜の世界を彩り、昼とは違った別の顔を覗かせている。
 紅麗の中心部は昼間は活気溢れる市だ。様々な品物や食べ物が並び、売り子たちの張りのある声が響く。
 だが夜にもなればそこは歓楽街へと変わる。酒造屋を始め、薬屋や春画を売る屋台が出、昼間とはまた別の活気に満ち溢れる。
 
 そんな紅麗の中心部から少し外れた、『紅麗』の明かりの届きにくい暗がりの場所に、薬屋『麒澄(きすみ)』はあった。
 医生(いせい)の名を、麒澄という。
 彼は魔妖や竜や鬼といった、人間以外の薬を専門に扱う薬屋だった。彼自身、人ではなく、そして魔妖でもない存在……地竜と呼ばれる、天から堕ち地の穢れに染まってしまった、かつての『謳われるもの』だった。彼は地上に暮らすため、持てる薬の知識を利用した。すると瞬く間に評判となり、今では頼まれれば人用の薬も作るようになった。だが彼の薬代は金銭ではなかった。薬代に似合う物々交換であったり、薬を使う者の話だったり、彼が興味を惹かれるか否かといった場合もある。
 良くも悪くも麒澄は変わり者であった。
 麒澄は一息をついて、葉煙草に火を付けた。
 乱暴に椅子を引いて座り、足を組んで先程までいた病室に忌々しそうに視線をやる。 
 その部屋から流れ込んでくる空気に辟易しながら、麒澄は元凶を運び込んだ少年に向かって煙を吐く。
「……ちょっ……何すんだよ! 人が気分悪くしてる時に!」
 少年の言葉を鼻で嗤い、麒澄はわざと強めに煙を吐いた。
「やかましいわ、ひよっこが! ちょっと覚醒したぐらいで穢れに酔うなんざ、情けない」
「は!? あの、ちょっと麒澄医生? 元々『謳われるもの』は穢れに弱いんですが!」
 「はっ、自分で『謳われるもの』と言うくらいなら、その中途半端な格好をどうにかしろ!見苦しい!」
 麒澄の言葉に、少年はぐっと詰まった様子を見せた。
 そして大きくため息をついて、両手で額を押さえる。 
 声を張り上げてしまったため、ぐらりと世界が回るような眩暈が少年を襲う。気分の悪さも胸のむかつきも、一向に回復に向かわない。原因はわかっていた。 
 だが。
「きすみいせーい、薬効かないんですけどー」 
 当たらずにはいられない。
「お前が連れてきた、連れにでも文句を言うんだな」
 麒澄は葉煙草を咥えながら言う。 

 そうわかっているのだ。何故薬が効かないのか、なんて初めから。 






 彼がここへやってきたのは、夕闇迫る、日も沈みそろそろ部屋の灯火を点けようかといった頃合だった。 
 竜特有の翼音が聞こえ、無礼にも呼び鈴無しに乱暴に引き戸を開け、文字通り飛び込んできたのだ。 
“麒澄医生!! こいつ……こいつを早く!!”
 血相を抱えて、というのはこのことだろう。
 竜の角や翼、尾を出したままという、かなり目立つ格好で少年は、自分の腕の中にいるもう一人の少年を診てくれと頼んだ。 
 麒澄は目を見張る。
 よく知っている人物だった。
 だがこの変わりようはどうだ。

 元々白衣だろう服は、酸化したどす黒い血で染まり。 
 さらりと切り揃えられて腰へと落ちるはずの藤の花のような色をした髪は、ひどく乱れ、血糊で固まり。
 背には肩から腰にかけて、鋭い何かで切り裂かれたような三筋の傷があり。
 
 そして、この妖気。
 麒澄はこの妖気の主を知っている。
 少年を取り巻くようにして妖気は彼に憑いていた。これではたまったものではないだろう。
 服についている血は怪我のものだけではないはずだ。妖気は時間とともに気管支を侵していく。ついには炎症を起こして咳とともに吐血する。発作のように、何度も何度も。
   麒澄は少年を病室の寝床に寝かせて、中途半端な竜族を別の部屋へと追い出し、処置を行った。 だが行えたのは傷の手当てと、妖気を薄くすることだけだった。


 




 「……聞かないのか? 何があったのか」
「お前達とは知らない間柄じゃないからな。気にはなるがな、竜紅人(りゅこうと)
 麒澄は短くなってきた葉煙草を皿に押し付けて火を消す。
 そして新しい一本を取り出し、再び火をつける。
「あの妖気は“意思のある妖気”だ。あの御方が何らかの意図を持って植え付けた妖気に、俺はどうこうする権利を持たない」
 意思のある妖気という言葉に竜紅人と呼ばれた少年は、思い当たる節があるのか無言のまま病室の方を見やる。
 咳が聞こえた。 
 肺の奥から搾り出すかのような、強い嫌な音のする咳だった。
 荒々しい息遣い。
  ひゅ、ひゅ、と砂が混ざるような息を少年はしていた。時折胸が苦しいのだろう呻く声が聞こえたが、しばらくすると安定し眠りにつく。
 これでも幾分かましにはなったのだ。
 決して殺すわけではない、だが妖気を払わなければ序々に体が弱り、やがて死に至る、そんな力加減で妖気を植え付けたのは、他ならぬ自分達の主。
(そう、全ては香彩(かさい)を、紫雨(むらさめ)に会わすため)
 妖気は払わなければ決して治ることはない。
 だが妖気を払える術力を持つ人間は限られている。 
 紫雨か香彩か。
 香彩が術を使える状態であれば、どんなに辛くても紫雨に会うことなく自力で治そうとするはずだ。だが妖気に侵された体はだんだんと衰弱し、ついには香彩から人の気配を『視』る力と、術力を行使する体力を奪っていった。
 それほどまでに。
(香彩は……会いたくないのだ)
 紫雨に。 
 その理由を竜紅人は知っている。
「俺にできることと言えば、これで薬を作ることぐらい、だな」
 物思いに入っていた竜紅人は、麒澄の出した品物にはっと我に返り、目を見張った。
 卓子の上に無造作に出されたもの。
「何で……これ」
 それは透明感のある蒼い色をした、鱗だった。
 自分はこれをよく知っていた。叩けばこつこつという固い音がするのに、曲げようとすると、驚くほど弾力よくくにゃりと曲がる、この鱗を。
 何故ならこれは。
「オレの……」
「ああ、お前の鱗だ」
 竜紅人は呆然と自分の鱗を見ていた。 
 蒼い竜は現在麗国に竜紅人しか存在していない。確かにこれは自分の鱗なのだ。
 覚醒を成した竜の鱗は魔払いの妙薬になると聞いたことがある。これで薬を作って貰い、妖気払いの儀式を行えたなら、名残を感じさせることなく妖気を一掃できるだろう。 
 だが自分はこれをどこで落としたのか。
 心当たりはあった。
(……あの衝撃の時……か)  
 麗城中枢楼閣。  
 主君館から陰陽屏へと続く、展望台で。  
 香彩の策略により『鬼』と化した仲間に自ら喰われて。  
 六層もの高さから落ちた香彩を。  
 飛びながら受け止めた、あの衝撃。
(けど……これがここにあるということは)


「私が持ってきたんですよ、竜紅人」  
 突然降ってきた声に竜紅人は思わず、げっ、と声を漏らした。  
 恐る恐る振り向けば、彼の静かな怒りに満ちた黒區の瞳にぶつかる。  
 咲蘭(さくらん)、といった。  
 麗国城主お抱えの大僕参謀官だ。
 咲蘭は香彩のいる病室の入口の柱に体を預けていた。腕を組むその動作は、仙猫を思わせるかのようになめらかで、まるで催眠効果のある舞踏を見ているかのような酩酊感があった。
「大宰殿に、妖気払いのとてもいい薬が入ったとでも言って持っていけと頼まれまして」  
 柔らかかつ冷ややかな彼の特徴のある声色は、極力感情を抑えて話しているようにも聞こえる。加えて零下絶対零度の薔薇のような、極上の笑み。
「まさかとは思いましたよ、竜紅人。香彩を連れ去ったあなたが、まさか! まさかこんな見つかりやすい場所にいるなんて」  
 なんて、ひねりのない。  
 そう言い捨てる咲蘭に、竜紅人はもう反論する言葉もなかった。  
 確かにそうだ。見つかりやすい場所なのだ。しかも自分は竜の鱗という、極上の餌まで撒いてしまってきていたのだから。  
 だが見つかるわけにはいかなかった。  
 竜紅人は無言のまま、咲蘭の腕を掴んだ。その強さに咲蘭の顔が少々顰められる。
「……無礼ですよ」
「承知の上……だ」  
 冷ややかに言う咲蘭の言葉に、重ねる形で竜紅人が言う。
「頼む……ここにいること、言わないでくれ。おっさんには……特に」
「ご冗談を」  
 咲蘭は腕を掴まれた時よりも更に強い強さで、竜紅人の手を振り払う。
「あなたは見ていないでしょう? 香彩が楼台の桟枠から身を投げ出した時、あの人は追いかけようとした! 追いついて少しでもその身にかかる衝撃を防いでやれたらそれでよかったんだと、あの人はそう……!」
 悲痛な声で言ったのだ。
 追いかけて楼台から飛び降りようとした彼を、後ろから羽交い絞めにして止めたのは咲蘭だった。彼は声を荒げて、何故止めたのかと咲蘭を責め立てた。
「あなたの鱗の薬のことだって、あなたたちが見つかったときに、すぐに儀式に移れるようにという、あの人なりの配慮でしょう!?」
 咲蘭には信じられなかったのだ。
 状況は決して良い方とは言えないだろう。香彩の容体もこのままだと悪化の一途を辿る。それなのに何故黙っておけるだろうか。よりにもよって、一番香彩のことを心配している肉親に。
 珍しく息巻く咲蘭の様子に、竜紅人はくっと息をつめた。
 確かに咲蘭の言う通りだ。 だが彼は一番心配している肉親であると同時に、一番香彩を追い詰めた人物でもあるのだ。
「……知っている」
 竜紅人はそう切り出した。
「おっさんが香彩の後を追って、香彩をかばうために飛び降りようとしたことも、その思いも」  
 その直情ともいえる思念は、何に邪魔されることなく、まっすぐに竜紅人の中に入ってきた。思わず泣きたくなるような切なさが、今でも竜紅人の心の奥で燻っている。
「だったら何故……!」
「香彩が、信じていない。おっさんのその思いを、香彩自身が信じていないんだ」
「……!?」
「紫雨が自分のことを心配している訳がない、紫雨に心配される価値が自分にはない、何故なら自分は裏切り者だから、裏切り者だと認識されてしまったから」
 淡々とした口調で竜紅人が話す。
 それは竜紅人が香彩から読み取った、思念だった。伝わってきたと言った方がいいだろうか。言葉に出さずとも、その真率な思いは竜紅人の心の中に直に入ってきて、勝手に紫雨の思念とせめぎ合う。
 紫雨とは、麗国の官の統括である大宰であると同時に。
 香彩の実の父親だ。
 両者の思いが分かるからこそ、竜紅人は敢えてふたりを引き離したのだ。



 竜紅人の言葉を聞いて、咲蘭はまるで氷に触れたかのような、はっとした思いを味わっていた。心の中に冷水を落とされて、広がっていく波紋の如きざわめきが、今の彼を占めていた。
 先程の激昂とまではいかないが、熱い思いが嘘のように、すっと冷めていく。
 思い出したのだ。
 酒に酔い、やけに軽口だった紫雨が、咲蘭に話した事柄を。
 その事実が発覚した時、紫雨は一瞬香彩に目を向けたが、無言のまま香彩の前から去ったのだ、と。
 香彩を見るその目は、あの時と同じ憎しみの目だったのだ、と。
「……だから、です
か」
 自分の目の前で、城主が制裁という名で香彩に植え付けた妖気。
 それは、どうあがいてもふたりを会わすために仕向けた種。
 だが、竜紅人は敢えて間接的に城主に背く形で、香彩を連れ去ったのだ。今は時期ではないと判断して。
「全く……畏れ多いといいますか、無謀といいますか」
「叶的には結果が良ければ、過程なんかどうでもいいからな」
 要は城主、叶が描いた結果の通りになれば、それは謀反にはならないということだ。
 それは決して悪い方へは向かないだろう。
 両者とも失えば、叶にとって痛手でしかないのだから。
「……分かりました。私は何も見ず知らず、薬を受け取って城へ戻ることにしますよ」
 しばらくの沈黙の後、咲蘭はそう返答をした。
 本当ならばここにいてふたりの今後を見届けたいところだが、大宰の使いで来ている以上、戻らなければかえって怪しまれてしまう。
「ただし、どうしても状況が許さない場合は、香彩を無理にでも紫雨に会わせてください」
「……ああ」
 少し思案した様子で竜紅人がそう返事をした。
「感謝する」
 そう言って竜紅人が差し出した手を、咲蘭は思いを込めて強く握り返したのだ。





 葉煙草の煙が、宵闇の空へと立ち上り消えていく。
 先程から手に持たれたそれは、吸われる様子がない。
 店の入口近くの壁に身を預けるようにして、麒澄は腕を組み、瞳を閉じていた。
 中では例のふたりの言い争う声が微かにだが聞こえてくる。込み入った話になってきた頃合いを見計らって、麒澄は外に出ていた。あまりむやみに聞いていい話ではないだろう。そう思っていたのだが。
(……医生、薬を作ってほしいんだ)
 元気な少年の声が、ふと脳裏によぎる。それがいつのことだったのか。近い過去であったはずなのだが、麒澄は思い出すことができなかった。  
 昔から知る、縛魔師の子供だった。  
 春の宵の華のような藤色の髪を高く結い上げ、正装である白の布着に、紅紐で胸と長い袖部分に縫い取りの装飾を施してある陰陽服を着込んだ姿で少年は、薬の依頼のためにわざわざ紅麗に訪れていた。明らかに仕事中に抜け出してきたことが、正装であることからよく分かる。
 少年は麒澄に、術力を回復させる滋養の薬を作ってくれと言ってきた。
(飲ませたい人がいるんだ。お願い、医生!)  
 麒澄は言った。薬代になるようなものをよこせと。そうしたら作ってやると。  
 少年は笑み浮かべてこう言ったのだ。


(これから僕のことについて、起こりうる全ての出来事と引き替えに)
(……里奈が下りてきている)
(足りないって言うんだ、術力が)
(母さんのこと、聞かせてくれるって……)
(内緒だよ、僕が里奈に会ってるって……あの人には……)
(絶対……許してくれな……)


 まるで壊れた人形の口のように、かたかたと音を立てて、少年の声が次々に頭の中によぎる。
 報酬には充分すぎるほど、むしろ秘密という名の咎に近いほど、それは麒澄にとって興味深い話であり、報酬では済まなくなるくらい、恢々な話だったのだ。  
 麒澄は大きく息を吐いた。  
 香彩と紫雨が麗国北部を本拠地とする『河南』と呼ばれる術社会の最高峰の血族であることは、知っていた。  
 河南の強大かつ甚大な術力は、本来ならば血族の女児のみに宿るものであり、成長と共に元ある術力を底上げする。だが男児は雀の涙ほどの術力しか受け継がないどころか、術力そのものを消滅させてしまう為、男児を産んだ女と通じた男は、罪として『河南』そのものに殺されるという。  
 今ふたりが在るのは、逃亡中、妻であり母であった女が自らを犠牲にして、麗国の城主に助けを求めたため。
 そして。
(逃亡先の居場所を『河南』に密告したのが、香彩の母親の妹)
 
 名を、里奈といった……。





 葉煙草はいつの間にか短くなっていた。  
 充分に吸える長さなのだが、麒澄はどうもそれが気に食わない。常に気持ち少し長めの物を吸うのが好きだった。それが余裕の現れの様と、勘違いをしていたのかもしれない。 煙草を取りに中に入るくらい、かまわないだろう。中のふたりは自分が外に出たことすら気づいていないのだから。  
 軽く最後に一服を、と思い葉煙草を咥えようとした。  
 だが。 その気配に。
 火の付いたままの葉煙草が、地に落ちて転がる。


「……火の不始末は火事の元だな、麒澄」  
 心の中の動揺を見透かされたかのような言い様に、麒澄は咄嗟に言葉を返すことができない。  
 ただおおげさに、現れた客人に対して歓迎の礼をとるのみ。

「これはこれは、ようこそいらっしゃいました。大宰殿」

                                                <終>

pege topIndex
Copyright(C)2017 hotono yuuki  All rights reserved. a template by flower&clover
inserted by FC2 system