Suicide Seaside





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3 誕生の後悔


 おはよう、と挨拶が飛び交う架凛高校通学路。
 行きは山へ、帰りは海を見ながら街へ向かう場所にあるこの高校は、緑の多い学校としても有名だ。山に近いせいか、校内に動物が迷い込むことも日常茶飯事。海にも近いということもあって、自主休校をした生徒がよく泳ぎに行く。
 校門へと続く長い階段を登り、振り返ればとても綺麗な海と街の景色が見下ろせる。
 と、突然。
 目の前に突き付けられる、わら半紙のプリント。
「神璃くん、おはよう」
「お、おはよう」
 その少し高めで気の強そうな声がすぐに彼女だと分かる辺り、重症だなと神璃は思う。
「な、何これ」
 目の前すぎて文字が読めなかったが、
 ――人体保存装置実験要請のお知らせ。
 という文字だけは読み取ることは出来た。
 すっとプリントが彼女の手元に戻される。
 神璃と同じ群青の瞳に、少々不似合いな濡れたような艶のある黒髪が、実にミステリアスな印象を与える。
 名前を綾・セラフィール・ミカエリス・ルーディルバッハ・西野という。神璃は彼女のことをセラフィと呼んでいる。
「ついに私のところにも来ちゃった。これ何か基準でもあるの?」
「……多分、春にあった健康診断じゃないかな」
 ふーんと、プリントを見つめて何か考え事をしているセラフィの横顔を、神璃は純粋に綺麗なものと思い見つめていた。お互いに好意はあるものの、この関係を崩すのが嫌で未だ彼氏彼女という間柄ではない。
「神璃くんも受けるんでしょ?」
 いきなり視線が合い、神璃は自分がとても悪いことをしていたような気がして、少し不自然ながらも彼女から視線を外す。
「ああ」
「それじゃ、私もそうしよっと」
「……そんなに気軽に答えを出していいの? 成功するとは限らないんだよ」
「あら、失敗するとも限らないじゃない」
 どこかで聞いたような会話だと神璃は思った。
 セラフィは一度言い出したら聞かないタイプだ。自分で決めたことは納得できるまでしたいのだ。その気持ちはよく分かるのだが、出来ればそんな危ないことはせずに待っていてほしいと、神璃は思ってしまう。
「今日は学校なの? 研究所?」
「研究所。担任の先生に頼まれていた資料を渡しに来たんだ」
「じゃあ、職員室まで同行させてね」
「光栄」
 この短い距離だけでも一緒にと思ってくれるセラフィの思いが神璃には嬉しかった。






 

 研究所に着くと、何やら慌しい緊迫した雰囲気に包まれていた。研究所には数日振りに来る。その時は研究所独特の静けさがあって、特に変わった様子もなかったのに、こんなに騒がしいのは初めてのことだと神璃は思った。
 呆然と立ち尽くしていると、神璃と呼ぶ声があった。
 声の主を探すと、手に少し大きめのダンボール箱を持った樹把が、駆け寄ってくるところだった。
「神璃、遅いじゃないか今頃!」
「――何かあったの?」
「聞いて驚くなよ! 例のプロジェクト成功しそうなんだ」
「え」
「”ブレイズ・マザープロジェクト”だよ!」
 神璃は驚愕する。
 樹把は小走りをしながら、少々早口で神璃に説明した。
「4日前に密猟者に撃たれて即死寸前だった狼が研究所に運ばれてきたんだ。狼の身体の方は銃創がいくつもあって流血も酷いものだった。佐々木教授は以前からほぼ成功していた有機物質生命体に狼の脳を埋め込んで、逆パターンでの”ブレイズ・マザー”を造りあげようとしたんだ。有機物質生命体に脳は拒否反応を示さなかった。あとはAIとの連立存在意識を確率させる接続回路の立ち上げを残すだけなんだ」

 B・M生物科学研究所の作られた本当の理由は、人間を基本に野生動物が持つ様々な”力”を脳に埋め込んだ生命体”ブレイズ・マザー”を造りだすことだ。
 AIマザーコンピュータ『SILENT』には”混沌”と呼ばれるいにしえの生命体が埋め込まれてる。
 未知なる物質で構成されているそれは、何の抵抗も受けずに”混沌”の意思の思うままに状態を変化させる力を持っていた。その性質を利用し、”混沌”の意識を操作して、ブレイズ・マザーの生命の維持と容姿の還元、野生動物の”力”……連立存在意識を司っているのだ。
 これらは”混沌”のかけらでもあるマイクロチップを、対象者の脳に埋め込むことによって、発揮する。”混沌”との融合と言ってもいいだろうか。これにより対象者は、生命の維持を『SILENT』に預ける形となり、自分で死ぬことすらできない身体になる。ただし『SILENT』が全プログラムを放棄した時のみ、対象者に初めて死が訪れる。
 また野生動物の”力”を発揮する際は、容姿が変わる。より埋め込まれた野生動物の種類に近い形に変化するのだ。
 だが今回は少し事情が違った。より人に近い有機物質生命体に、狼の脳とマイクロチップを埋め込み、『SILENT』との接続回路を立ち上げてみようというものだった。

  ――後は最終段階を残すのみ。
 神璃は今更ながらにして恐ろしくなった。
 本当にいいのだろうか。こんなことをしていいのだろうか。
 国が総力を上げて取り組んでいるプロジェクト。
 その意味。
 同じ動物が動物を造り上げる。
 その意味。
「……駄目だ」
「――神璃?」
 駄目だ、駄目だ。
「成功しちゃ、駄目だ!」
「あ、おい! 神璃」  
 神璃は何かにとりつかれたかのように、走り出した。

 


                    ◆  

 遠き遥かなる故郷。
 獣らや虫たち、そして果実を成すもの。
 吹く風は森によって愛され育まれ、森は川を生み、川は川に棲むものと海をつくり、海は海に棲むものと雨を、森と土へ返す。
 自然の恵みの偉大なる恩恵の下、獣らの子供たちは木漏れ日の中、遊びの中で生きる為の術を学んでいく。
 それらを全て引き裂く、無常な音。
 黒く光るものが、森の中を疾風のように駆け抜ける。
 そうして残されたのは、無残な仲間と、子供たちの姿。
 自分ももう、助からない。
 薄らぐ意識の中、思うのは助けられなかった仲間と子供たちへの後悔と。
 憎悪。  
  ゆっくりと目をひらく。
 ひらくことが出来ることに驚きを隠せない。
 そうして驚くぐらいに四肢に痛みがない。
(どういうことだ……?)
 手を動かしてみる。
 何かがおかしい。
 感覚が全くもって違うのだ。
 その手を今度は自分の顔の前へと持ってくる。
 視界に入るその手は。
 人間の。
(――何だ、これは……っ!)
 驚いて起き上がる。
 まだ身体がなじんでいないのか、思うように動いてはくれなかったが、”起き上がろう”という意識は働くようだった。
 初めに見たものは足。
 人間の2本の足。
 次に視界に入ってきたものは、長くて灰黒の色の髪。
 手を……人間の手を握ったり、ひらいたりしてみる。
 自分の意思によって。  
 ――ヒトの中に自分が存在している……!  
 そうして自覚をして、初めてその場に自分以外の存在が多数いたことを認識した。
 ざわざわと耳障りな喧騒。
 よりにもよって。
 よりにもよって、人間とは。
(……仲間と子供たちは)
 ――人間によって殺されたのだ!
                    ◆  


 佐々木優也の専用の研究所は、自分の持ち場でもある例の天使のいる部屋から、別の網膜識別式のロックを通った場所にある。だが今は天使の部屋以外の全てのロックが開かれていた。
 研究所から、何かがぶつかる金属音が響き渡っている。悲鳴を上げながら、頭を庇い逃げる研究員たちと神璃はぶつかった。部屋から投げ出される椅子や文具。辺りは見事なまでに散乱していた。
 そんな中、優也が研究所の中で立ち尽くしている姿が見えた。投げた物が当たったのか、頭から血が流れている。
「優也さん……っ!」
 神璃が呼ぶが、優也は気付いていない。
 その時だ。
 咆哮とも嘆きとも取れる声を聞いたのは。
「何故だ! 何故俺にこんなものを与えた!」
 お前らはどこまで生命を操れば気がすむのだ……!
 元は狼であったものが、そこにいた。
 狼は手に椅子を持っていた。
 言葉と怒りに任せてそれは、神璃に向かって投げられる。
「……っ!」
 神璃はとっさに身構えた。
 だがその衝撃は訪れなかった。
 神璃は狼を見やる。
 狼は何を思ったのか、振り上げた椅子をゆっくりと下ろしたところだった。
 狼は、神璃に向かって視線を外さない。神璃も何故か視線を外せずにいた。
「神璃……っ、佐々木教授!」
 樹把が神璃の腕を引っ張る。
 我に返った神璃は、樹把とともに優也を力ずくで部屋の外へと出し、ロックをかけた。
 優也は駆けつけた後輩に声をかけることもなく、立ち去った。



「思えば当然の結果だよな」
 研究所内の食堂にある自動販売機の缶コーヒーを一口飲み、樹把は小さく息を吐きながら天井を見上げた。同じ物を飲む神璃は、近くの椅子に座り下を向いている。
「向こうは仲間とかも密猟者に殺された狼なんだぜ。人間に身体やら何やら与えられたら……恨みたくもなるもんな」
 狼から見れば、密猟者も普通の人間も変わりがない。
「……優也さん、本当は悩んでいたのかもしれない」
 神璃は大きく息を吐いた。
 ブレイズ・マザープロジェクトは自然に対する掟違反だと知った上で、現実を突き付けられたのだ。
 狼は現状維持のまま、悪く言えば放置されているに近かった。
 研究チームは幹部への報告を遅らせるという。教授である佐々木優也が自分の部屋で閉じこもっているためだ。それに狼があの状態であれば幹部への報告が難しいということもあるのだろう。幹部は結果を求めるのであって、経過がほしいわけではないのだ。
 国が総力を上げているプロジェクトは、すべては隣国との戦争のための兵器の一部になるのだから。  今度は二人で大きくため息をつく。こんな時に何か仕事があれば気も紛れるのだが、研究所自体が大騒ぎで研究員ですら暇を持て余している状況だ。
「佐々波、真矢!」
 
 呼ばれて振り向くと厚めのプリントを持った研究員がいた。
「こんな時になんだが、例の実験の詳しい資料だ。目を通しておいてくれ」  
 渡されたプリントには、説明会の案内と実験の開始日が書かれてある。
 神璃には考えがあった。
 実験前の大事な時期だということも分かっている。だがどうしても忘れられないのだ。
 あの狼の瞳が。
 樹把、と神璃が呼ぶ。
「怒るかもしれないけど、聞いてほしい」
「……俺が怒るようなことをするんだな?」
 こくりと神璃が頷く。
「狼と、話をしようと思うんだ」  
 沈黙が降りる。
 賭けてみたいと思ったのだ。
 あの瞳に。
 あの時、すんなりと椅子を下ろしてくれた何かに。
 テーブルの上に置かれた缶コーヒーを両手で握り締める神璃の手は、否定してくれるなと願う様。一番の親友に否定されることが何より一番に痛い。
「――言い出すんじゃないかって思ってたけどな、まさか本気で言い出すって……馬鹿としか言い様がねぇな」
 樹把の物言いは静かだ。本気で怒り始めているのが分かる。
「本気で話が出来るって思ってる? 通じるって?」
「……分からない。けど……」
 あの何とも言えない、狼の瞳に賭けてみたいと思ったのだ。
 再び沈黙が降りる。
 食堂の喧騒が、ひどく遠くに聞こえる気がした。気分を紛らわせようと人の多いところへやってきたのに、今は少し後悔をしている。この遠くに聞こえるざわざわとしたものが、急に憎らしく感じた。
 樹把は先程から、神璃と目を合わさないようにしている。
 言い出したら聞かないのは、お互い様なのだ。
「……佐々木教授が了解したらな。これが駄目なら1週間の絶交だ」
 そんな樹把の物言いに、神璃は無言で頷く。
 笑いを隠すために。


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