Suicide Seaside

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2 わたつみ




「うわぁ! 神璃お兄ちゃん、樹把、早く早くぅ!」
 砂浜を駆け回り、波を追いかけっこをしている架稜良を、神璃と樹把は微笑ましげに見ていた。10歳の無邪気な子供特有の笑顔は太陽のように明るい。見る者を優しく元気にしてくれる。
「あんまり向こうに行くと危ないよ」
 はぁい、という明るい声が返ってきた。
 街の郊外にあるこの砂浜はすこし離れると途中から除々に崖になり、底が深くなっている。上に道路も通っていて、シーズンになるとスピードの出しすぎたバイクや車がコーナーを回りきれずに真っ逆さまに投げ落とされ命を落とすという名所にまでなってしまった。
 じりじりと砂浜を焼く太陽は少し西に傾き始めている。辺りを見回せば、海水浴を楽しむ家族連れや、波を待つサーファーの姿がある。
 夏、真っ盛りである。
 薄く雲のかかった青白い空に、白い雲がぽっかりと浮いている。潮風が砂と髪をなぶった。
「――幹部と何があったって?」
 樹把が話を切り出す。
 神璃は小さくため息をついた。
「……俺が今担当している天使がいるだろ? 名前、祐亮っていうんだ。いつもの様にデータを記録していたら、天使が光を短長に放ち出して……心得はあったから、すぐにモールス信号だって分かったんだ。そのことを報告に行ったんだけど、頭ごなしに否定されて、それじゃあ報告書の提出を止めようとすると……力づくだよ。あれじゃ、奪われたのと同じだ」
 仕方がないのかもしれない。神璃はそう思った。自分はまだ見習いなのだ。その分際で上手い話が次々に転がり込んでくる神璃に、いい気分する人間はそうはいない。現に神璃は目立つ。
 神璃の真剣に悩む様子に、樹把は息をつく。
「気にするな。放っておけよ。幹部なんてその場限りの言葉で有頂天に登らせておけばいいんだ。その方が得だぜ。生物研究より金遊びや陣地争いが好きな方々なんだ」
 その程度だよ、研究にかけているものなんて。
 樹把の歯切れの良い絶舌は止まることを知らない。
 神璃は先程までのささくれ立った気持ちの薄らいだことを感じた。不思議なことに気持ちが急に軽くなり、身体も軽くなる。
 正直にそのことを話すと樹把は爆笑した。
「おま……っ、だから溜めすぎなんだって。発散するっていってもゲームくらいだろ? たまにはこういう広い場所で人目も気にせずに大声で話したほうが、健康の為ってもんだぜ」
「それも、そうだ」
 神璃が真顔でそう返した為、樹把は再び笑い出す。
 そんな笑い声が気になったのか、架稜良が駆けてくる。
「樹把、笑い声が響いてるの。恥ずかしいよぉ」  
 架稜良は神璃の手に何かを握り込ませると、また海の方へ駆けて行ってしまう。
 手をひらけると、ピンク色の小さな貝殻があった。
「神璃お兄ちゃんにあげるね〜!」  
 遠くで架稜良が手を振っている。
「お熱だねぇ? 俺なんか呼び捨てだっつーのに。いいのかなぁ? お前のクラスの何だっけ、黒髪に青い目の、名前がややっこしい……」
「セラフィーとはそんなんじゃないんだって!」
「おや? 俺。別になぁんにも言ってねえよ」
「――ニュアンスがそんな感じだった!」
 思わず拳を握りしめてしまった神璃に、お兄ちゃああんと遠くで声がかかる。ぎこちなく笑いながらも神璃は手を振り、乾いた笑い声を洩らした。
「しっかし何が面白いのか知らんが、よく走り回る子だなぁ。病気なんかしたことないって感じで。佐々木教授もおひとりで毎日大変だろうな」
 架稜良は波と追いかけっこをしている。自分の頭よりも少し大きめの麦わら帽子の端を両手で押さえながら、飛んでくる水しぶきが嬉しいらしく、かかったり逃げたりして遊んでいる。
「……あの子ね、不治の病なんだって」
「――えっ!?」
 樹把が架稜良を凝視する。
「あの子、あんなに元気に走り回ってるじゃないか!! ――……病名は!?」
「分からない。特効薬もまだ無い新種のものらしいんだ」
 詳しいことは聞かされていないが、幼い頃から病気がちだったことが関係しているらしい。
「優也さんは、これ以上病気を進行させない為、薬ができるまで架稜良ちゃんを”保存”させるって」
「お前まさか……あの話」
「ああ。受けようって思うんだ。あの子やたくさんの人々のために、自分のためにも」

 

 現在国が総力を上げて取り組んでいる計画の中に、”人体保存装置”がある。不治の病に冒された人々の病の進行を防ぎ、特効薬が出来るまでの間、人の身体を冷凍睡眠させるという福祉団体の表向きの公表だったが、神璃は知っていた。
 国が隣国との戦争に備えて、国にとって重要な人物を保存しておく為のものだということを。

 半世紀前、この国は日本というひとつの国だった。だが環境問題を巡る論争から第3次世界大戦が勃発し、大敗した日本は4つの国へ分散された。やがて独立をしたが、それは4つの国家としてだった。この4つの国家の総元首が、第3次世界大戦を勝利で制し、世界を平和に導いたとされる「龍」と呼ばれる家だった為、北海道を紅龍国、関東を藍龍国、関西を黄龍国、九州を翠龍国と龍という名前が使われ、実権は「龍家」が握ることになったのだ。この4国家は「龍家」の兄弟達が支配をしていたが、近年仲違いを始めた藍龍国と黄龍国が、お互いの陣地を求めて近々戦争を起こすのではないかという噂が広まっていた。
 だが”人体保存装置”などという計画が実行されようとしている今、噂は噂でないことは分かっていた。  神璃に”人体保存装置”の実験体要請が来たのは、見習い研究員になったばかりの春頃だった。この頃から神璃は決めていたのだ。
 人の心は変わる。この実験が成功すれば大切な人を助けられるかもしれない、そんな思いを持っている人が沢山いて、その思いが気持ちが人を動かし、今では国をも動かし始めている。
「――成功するとは限らないんだぞ」
「失敗するとも限らないじゃないか」
 二人は相手を納得させるために、じっ、と見つめ合っている。
 わかった、と折れたのは樹把の方だった。
「お前、言い出したら聞かないもんな。自分の思うようにやってみろよ」
「……ああ」
「ただし、俺も参加する」
「……今、なんて言っ――」
 神璃の反論は聞くまでもないとばかりに、樹把は架稜良のところへと駆けて行き、そのまま鬼ごっこを始めてしまった。架稜良は楽しそうに、追いかけてくる樹把に海水を思い切り浴びせている。
 神璃は、やれやれとそのふたりを見ていた。
 ――ふたりが神璃を呼んでいる。
 太陽を反射してキラキラと光る広大な海へ、神璃は駆けて行った…

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