夢現奇譚シリーズ掌編

 眩暈
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 その言葉は、一体何を意味しているのだろう。  
 真意を問えば、壊れてしまうのだろうか。  
 全てが……。  




 時折聞こえる虫の音に耳を澄ます。  
 昼間の内は感じられる夏の名残のような暑さも、夜になればすっかり冷え、少しばかり肌を冷やすような風が、(かのと)の銀糸の髪を揺らした。  
 少しずつ、少しずつだが季節が冬へと向かっている。
 彩られていた世界が、次の世代のための準備を始め、やがて朽ち、眠りにつく。
 そして再び恋と彩りの季節に今以上の賑わいを見せてくれる。
 だが叶にとってその彩りの失われていく準備期間が、とても寂しいもののように思えて仕方なかった。たとえ次世代に再び彩りを見せてくれようとも、中には伴侶にめぐり合うことすらできず、この冬で朽ちていくものもある。それと自分とが、どうも重なってしまって、切なさがこみ上げてくる。
(……らしく、ないですね)  
 自分を嗤うように、叶はため息をつく。

「……あなたがため息とは、明日はいよいよ大雪かもしれないですね」
 その声に叶は敏速に振り返る。  
 普段なら分かる気配すら、感じることができなかったことに内心驚く。自分はそれほど物思いの中に入り込んでいたのか。
「……それに普段なら飄々として私に気付くというのに」
 それほど思いの深いことを考えていたんですかと問う咲蘭(さくらん)に、叶は軽く息をつめる。
 楼台の桟枠に背中を預け、叶は言葉を探した。
 何と答えていいのか分からなかった。
 確かに普段ならば、彼の気配に気付き、彼が言葉を発する前に話しかけて、話の先導を取ることもできたかもしれない。
(……だが、今は)
 誰にも触れられず、伴侶も見つけられず、朽ち果てていく秋の彩りのものたちの存在のことを考えてしまったから。  
 何も言わない叶を特に気にする様子を見せずに、咲蘭は桟枠に手を置き、叶とは逆の体勢で体を預ける。
 流れるような動作で見上げるのは、空。
「見事……ですね」
 咲蘭の視線の先には、月があった。
 それは真円を描き、洗練された皓き光を全てのものに平等に照らしていた。
 空がとても高く、澄んだ空気の中ではその光はいつも以上に皓々しく感じられた。
 まさに名月。
 月を見る咲蘭の、宵闇のような漆黒の髪が、さらりと揺れる。普段ならば高く結われているその髪も、今宵は軽く下で纏められただけだ。
 風が吹くと横顔に髪がかかり、そして肩に落ちる。
 思わずその結紐を解いて、後ろから抱きしめたくなる衝動を、叶は月を見ることでやり過ごす。

 いつからだろうか。
 彼のことを怖いと思うようになったのは。
 彼の存在に、臆病になったのは。
 確かに想いはあるのに、その想いごと消えてなくなってしまえばいいと思ってしまう。
 隣にいるだけで充分だと頭ではわかっているのに、欲深い自分はやがてそれでは満足できなくなってしまう。
 焦がれて、欲して、この想いを受け入れてほしいと、身勝手な願いを押し付けてしまいそうで。
 そんなことあるはずがないと、わかっているのに。
 だから怖いのだ。
 今のこの心地良い関係が、壊れてしまうことが。

「叶……?」
 咲蘭が呼ぶ、吐息のような声で、叶は意識を咲蘭に向ける。
「ずっと聞きたかったのですが」  
 咲蘭の視線は月を向いたままだ。


「あなたは……私のこと、どう思っているのですか?」


「え」  
 まるで否定を含んだかのような、間の抜けた声を出してしまったと、叶は思った。
 どう、とはどうなのだろう。そういう意味合いではないのだろうか。
(だが、もし違ったら)
 きっと自分は後悔する。なぜそんなことを言ってしまったのかと、後悔する。
「……咲蘭」  
 叶が呼ぶ。
 すると咲蘭はまるで夢から醒めたかのように、はっと叶に振り返った。
「すみません、変なことを聞いてしまいましたね」  
 月にでも酔わされたみたいですね、と浮かべる笑みは、とても優美で艶やかだ。
「さ……」
 何故そんなことを聞いたのか訊ねたい心と、それを知るのが怖いという思いに挟まれて、叶の彼を呼ぶ声は、声にならず冷えた夜風の中に消える。  
 それはどういう意味で言ったのかと。その意味が知りたいのに、知ることが恐ろしく声にならない。問うことで自分の気持ちを咲蘭が悟ってしまうのではないかと、そして拒絶するのではないかと思うと、恐ろしくて。




 
 声にならず、気持ちに押しつぶされて、世界が回る……。

                                                <終>

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