大きな森の中に開かれた道がある。
人が行き来をする中で自然とできた道なのだろう。整備されている様子はなかったが、荒れている様子もなかった。
木漏れ日が落ちていて、光の明暗の曖昧さがなんとも美しかった。
この道を自分は知ってる。
初めて踏み入れる土地であったのに、酷く懐かしさを覚えてしまう。
そうだ、この道の先は。
(……分かれている)
香彩は何かに誘われるように、走り出した。
分かれた左の道の、更に森の奥。
獣達しか通らないだろう、道なき道の先に。
「……っつ!」
目に飛び込んできたものは、荒れた庵だった。
ほとんど手入れもされていないのだろう。屋根は朽ち果て、庭らしきものには様々な種類の草が伸び放題となっている。
かつては使われていた井戸も、汲み桶の縄が切れ、風に揺れていた。
(……ああ)
ここだ、この場所だ。
香彩は庭だった場所らしき所へ、歩き出す。
日当たりの良い縁側だった。
森の奥にある庵だというのに、木々の切れ目があって、暖かかったことを覚えてる。
縁側も、そうとは呼べないくらいに荒れていた。ずっと風雨に晒されていたのだろう。木の色がすっかりくすんで腐り、苔のようなものが生えていた。
(この場所に)
ふたりが座っていた。
そして、赤子がいた。
わずかな期間だった。
この場所で暮らしていた平穏な日々。
そしてその終わり。
彼女を犠牲にして、生かされた自分。
香彩は呆然と立ち尽くしていた。はらはらと頬を伝うものを拭いもせずに、ただただ、懐かしさと切なさと悲しさで立ち尽くす。
ふと人の気配がしたが、香彩は決して振り向くことはなかった。
同行人である里奈が追いついてきたのだ、ただそれだけのことだ。
香彩は同じように立ち尽くし、かける声も見当たらないかのように戸惑う者の顔を、今はどうしても見たくはなかった。
見れば責めてしまいそうだったのだ。
どうして密告をしたのか、どうしてそっとしておいてくれなかったのか。
だが里奈もまた犠牲者であることを、香彩は理解している。してはいるが、今はどうしても心が納得してくれない。
香彩は無言のまま、決して視線を合わさず、里奈の横を通り過ぎた。
息をつめる里奈の気配を感じながら……。
<終>