夢現奇譚シリーズ短編

花盗人

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4.


 主君館での騒動が収まったのは、夜も更けてからだった。
 一通りの解決は見せたらしく、療はいつものことだと割り切って宿衛兵に後を任せて、 今日の仕事を終えて退務した。
 何故だか今日は妙に疲れた気がする。
 陰陽屏に行って、香彩に夢のことを視てもらったこと以外はほぼ通常通りの業務だったというのに、やけに体が重く感じるのだ。
(なんだろう?この黒くて重い感じ)
 私室にはなんとか到着したが、目の前にある寝台までの道のりがとても遠くに感じた。 どうにも我慢ができなくなり、療は近くの長椅子に座った。







 途端に目の前が暗くなる。
 さっきまで見えていたはずの、寝台や卓子や椅子やらが見えない。 
 だが療には何故こうなったのか自覚があった。きっと自分の中の意識下に落とされたのだ。
 誰かの手によって。
 何もないただ真っ暗な空間に療はひとり放り出されていた。
 どこからともなく聞こえてくる、女性のすすり鳴く声。
 女性の姿は見えない。その声だけが空間を占めていた。
 療には分かっていた。この後、この女性の声がどうなるのか。思わず耳を塞いで、その瞬間を待つ。
 やがて女性のその声は断末魔のような悲惨な声へと変わった。耳を塞いだが、この空間が療自身の意識の空間だからか、間近で聞いているかのように聞こえてくる。
 その悲鳴から一陣の風が凪いだ。
 やけに濃い、土の香りが鼻をついた。








「……っつ!」
 療は目をかっと開け、飛び起きた。
 いつ自分が寝てしまったのか、全くもって自覚がなかったが、まるで何かに呼ばれたかのように意識を飛ばしていた。
 とても嫌な冷たい汗が、額と背中を伝う。
 体を抱え込むようにして、療は芯から来る寒さに耐える。
 手先足先の感覚はなく、無意識の内に体が震え、口唇が噛み合わない。
 だがこの寒さが彼自身の寒さではないことに、療は気付く。
 夢の中で感じた濃厚かつ昏い土の香りが、療の体を借りて寒さを表現しているかのようだった。きっとどこかで誰かが……あの夢に関わりのある誰かが感じている寒さなのだ。
 しばらくして体温は徐々に戻ってきた。
 冷たい汗の感覚だけが、未だにまだ残っている。
「なんだか気持ち悪いな。禊ぎ場に流しに行こうかな」
 療はゆっくりと立ち上がる。
 足の感覚も少しだが、ちゃんと『療』として戻ってきている。これなら禊ぎ場まで自分の足で行けるだろう。
 禊ぎ場は本来縛魔師の使う、穢れを落とし身を清め、集中力と補い、雑念や邪心を追い払うための儀式の場なのことなのだが、一般的に汗を流し体を清めて休む場も、禊ぎ場といった。名称が一緒なだけで、中身は全然違うものなのだ。
 療のいる場所は中枢楼閣の第一層目だ。禊ぎ場は最上階の六層目にある。今の療にとっては、とても長い道のりだった。
 大きく息をついて私室から出る。
 禊ぎついでに香彩に今の出来事をもう一度相談してみようと思った、その時だ。
(……何だ?)
 いつもとは何か違う気配を感じて、療は楼台の桟枠から少し身を乗り出し意識を集中させる。 
(――――上)
 楼閣の楼台の空上に、何者かがいるのを見つけた。
 目をこらしてその者を見る。
 何者かは、飛ぶように移動しやがて、城門の向こうに消えて見えなくなった。 
 だが療はその手に握られていたものを、そしてその者の気配を見逃さなかった。
 それは闇夜にほのかに光る、神桜の一枝だった。
 そしてそれを持っていた者は、昏い土気漂う『謳われるもの』の光の軌跡を空上に残していった。
 まさかと思い、療は自分の中に宿る跳躍で、そのまま楼台から中庭へと降りる。
 『神彩の香桜』と呼ばれた神桜の前で、療は絶句し、立ち尽くした。
 見事なまで咲き誇っていた神木の桜の枝という枝が、全て折られ、庭に捨て置かれていた。今、目の前にあるのは、無残にも枯れ木のように化した大樹であった。ほのかに光っていた神桜は、徐々にその光を薄くし、やがて消えていった。
 「……酷い、こんなことって」
  療は大樹にそっと触れる。
 本当であれば感じられる大樹の鼓動と火の気配が、どこにも存在しなかった。取って変わるように重く昏い土の香りが、恨みや妬みなどの怨恨の念を伴って、大樹を取り巻いていた。
(この重苦しい気配は、間違いない)
 あの『謳われるもの』は堕ちかけている。
 どうにかにて助けたい、そう思う療に、手遅れだろう、という声がかかった。
 「あれだけ浸食してるんだ、たとえ自我が戻ったとしても、食われる方が早い」
 蒼い光の軌跡を残して、顕現したのは竜紅人(りゅこうと)だった。
「もっとも、自業自得ってやつだろうがな」
 竜紅人の物言いに、療は無言で首を横に振った。
 『謳われるもの』は生まれつき純粋で綺麗な雰囲気や空気を持っている。彼らが地上に在る時に心が荒れると、ここぞとばかりに邪念を持つ魔妖や念が彼らの体に入り込もうとする。時間とともにそれらは蓄積され、やがて無意識の内に心の中にそれらを呼んでしまう。そうなれば自我は崩壊し、何ともつかない存在へと成り果てる……堕ちるのだ。
「でも、助けられるんだったら、助けたいよね」
 少し高めの少年の声が、療にかかる。
 その存在を認めて、療はうん、と返事をした。
「香彩……どうしてここに?」  
「あれから療のことが気になって。療のところへ行こうとしたら、すごい土の香りが中庭からしたから。……『謳われるもの』関連なんだね」
「うん。香彩……ごめん、もしよかったら協力してくれないかな?」 
「勿論だよ。竜紅人だって何か言ってるけど、療の様子が気になって仕方なかったんだよ」
 香彩の言葉に療は、えっという表情を竜紅人に向ける。
「さあな」
 香彩と療には見向きもせず、竜紅人は先程の『謳われるもの』が去った方向をじっと見据えていた。
「助けたいんなら、急いだ方がいい。心を冒されたやつは、何をしでかすか分からんからな」
 竜紅人が療と香彩に手を差し出す。  
 ふたりの手を握ると、竜紅人はその背から翼を顕現させ、力強く羽ばたかせた。








 土神は自分の神社まで戻ってきた。
 地に降り立った瞬間、樹で眠っていた鳥達が、何かを感じて一斉に飛び立ったが、土神は特に意に返さず、あるひとりの人物の気配を探す。
「見つけたぞ」
 にぃ、と土神は嗤った。
  この一枝を見せれば、銀狐はどんな顔をしてくれるだろう。きっと悔しさに満ちた表情を見せてくれるのではないか。そう思うと土神の心は、にわかに晴れ渡る気がした。
 土神は再び宙を舞い、銀狐の元へと降り立つ。
「これはこれは土神様。どうなされました?」
  銀狐は突如として現れた土神に、たいして驚いた様子も見せずにそう言った。
 土神はそんな銀狐の様子を訝しんだが、それがやがて悪意となって土神の目に映った。
「貴殿に、見せたいものがありましてな」
 話ながら土神は、先程まで晴れ渡っていた気分が、どす黒く曇り出していくことを自覚していた。
 銀狐が土神の突然の訪問に驚かない理由。
(……気配を読んでいたのか)
 ずっと。
 ずっと。
 (では、さぞ銀狐にとっては面白かろう) 
 銀狐が神桜の元にいる時は、土神は決して姿を現さなかったのだから。
「土神様が、わたくしに。それはどんなものなのでしょう?」
 幼い態のまあるい目は、決して純粋に輝いて、興味を持って土神に聞いているわけではないことを物語っている。
 土神は神桜の一枝を、銀狐に見せようと思った。
 だが、銀狐が今手にしているものを目にした途端に、心の中が真っ黒になった。




 

 銀狐は一枝をその手に持っていた。





 土神は何も考えられなくなった。
 まるで体が灼熱の炎で灼かれたかのように熱くなり、反面心は氷のように冷えた。 
 土神のその気配に、銀狐が逃げ出すのが見えた。
 その後をまるで嵐を背負っているかのような勢いで、土神は追いかけた。
「だめだ、もうおしまいだ、星の欠片、星の欠片」
 土神は銀狐が妙な穴に飛び込もうとするところの足を掴み、ひっぱり出し、飛びかかり、その体をぐにゃりとねじまげた。そして地面に叩きつけ、何度も何度も何度も何度も踏みつけた。
 息も絶え絶えに土神は、銀狐が飛び込もうとした穴へと入っていった。

  ひどくがらんとしていた。

 穴の中には小さな寝床と、干された肉と、暖を取るための木の枝があった。寝床にはこの辺りに咲いている小さな白い花が、束になって置かれていた。
 何かから目が醒めるかのように、土神は穴の外に出て銀狐を見る。
 その手に握られていたのは、木の枝だった。



 

 ただの木の枝だったのだ……。

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