入相の空に、映えるは木陰。
やがて蒼然とした暮色に包まれいくだろう空の色は、鮮やかな色彩を放ち、たなびく雲を同じ彩りに染め上げていた。
西日の残韻の残る空は、その空気までも染め上げるかのようだ。
(……焔の中にあるみたいだ)
自分の手も服も、色付けられる。
熱く、感じられないのが不思議なくらいに。
迫る夕闇の紺青を仰げば、悠然と羽ばたく鳥の姿がある。
帰るのだ。自分の住処に。
焦がれるように、やがて鳥が見えなくなるまで魅入ってしまっていたことに、香彩は短く息をついて、嗤った。
そして、背後の気配に気付くことが出来なかったことも、嗤うしかなかった。
「……鳥が帰って行くのを、見てたんだ」
振り向かずに香彩は言う。
「でね、思ったんだ」
僕の還る場所はどこなんだろうって。
まるで逃亡しないように背中を取られて、香彩は溜息をつく。
「……そろそろ頃合いだ、香彩」
上から降ってくる声は、平然そうに聞こえて、心の中の怒りを抑え込んだような、そんな声色をしていた。
「……そう、だね」
何故か目の上が熱い。
抑え切れないものが、頬を伝う。
抱きすくめられた背中の、懐かしいぬくもりに思わず息を呑んだ。
背後から回される彼の右手が、器用に香彩の涙を拭う。
骨張った長い指先の、辿るその手つきがあまりにも優しくて。
ただそれだけで。
帰りたいと思う自分の浅ましさに、香彩は再びの心の中で嗤う。
逃げ出したのは自分だ。
その庇護から抜け出して、彼の過去にこだわって振り回されて、大切な友人を、たくさんの人を傷付けた。
それでも。
「……帰って来い」
紫雨のその言葉に、香彩の身体がぴくりと動く。
まるで言葉たったひとつで、全身の強張っていた力が抜けていくかのようだった。
香彩はようやく彼に背中を預け、短く応えを返した。
<終>