夢現奇譚 本編シリーズ長編

天昇

                                                                                         TopIndexBackNext

6.  


 前方にとても強い妖気があった。
 土鬼達とは比べ物にならないくらい、洗練された気配とその毅さ。
 その妖気の持ち主が近づくにつれ、療の中には戸惑いが生まれる。
 姿を認めた時、心が鷲掴みになるような切なさが込み上げてきて、それを隠すように療は、今まで抑え込んでいた力を……妖気を開放する。
 竜紅人と香彩は、紫雨が作った結界の中にいる。
 少しの時間ならば、そんなに影響はないはずだ。
 妖気の持ち主が駆けてくる。
 憂いを帯びたその表情を、どうにかしたくて、療は軽く笑んで見せた。
 自分は果たして上手く笑えたのだろうか。
 はっとした顔が、こんなにも近い。
 いつの間にか療の腕の中には、同じ背丈くらいの少女がいた。
「療……っ」
 背に回される腕の力を感じて、療はおずおずと少女の背を抱き締める。
「……水蓮(すいれん)
 少女の……水蓮のあたたかいぬくもりを感じて、療はようやく彼女を力強く掻き抱いた。
 自分を救ってくれた少女が目の前にいる。
 会いたくても危険に晒すことを恐れて、会えなかった少女が。
「……土鬼の気配を追っていたら、療の気配がして」
 気付いたら走り出していたのだという水蓮に、心の中から感情が湧き上がってくる。
 だが療は敢えて何も言わなかった。
 言葉に出すことで、彼女を縛り付けたくなかった。
 そっと、水蓮が療から離れる。
 ぬくもりが離れてく名残惜しさを、療は感じていた。






「下がれ、白虎」
 紫雨のその言葉に、白虎は一陣の風と共に、その姿を消した。
 白虎が消えたことにより、結界が解除されたことを感じた療が、その力を影響の出ない程度に抑え込む。そして無言のまま、土鬼を、そして水蓮と呼ばれた少女を見ていた。
 竜紅人と香彩、そして紫雨は改めて思い出すことになる。
 療が『鬼族』であるということに。そして『鬼族』の中でも大物に分類され、強大な妖力を持った『雷鬼族』であるということに。
「……水蓮」
 療が、おずおずと話しかける。
 水蓮は療に微笑みかけると、その表情を一変させ、厳しい表情で右腕をさっと横に広げて下ろした。  それが合図だったのだろう。
 片膝をついて頭を垂れていた土鬼が、療と水蓮に一礼をすると、その姿を闇に紛れさせ消えて行った。
 土鬼の一礼の姿に、療は息を呑んだ。
 『鬼族』は属性ごとに主従関係が存在している。自尊心の高い『鬼族』は、たとえ自分より上の位の属性の者であっても決して膝を折ることはない。彼らが膝を折り頭を垂れ、一礼を取る相手は、ただひとり。
「水蓮……君が、まさか……」
「そう。今は私が……長を務めている」
「何故、君がっ……!」
 療は、冷水に触れたかのような、はっとした表情を見せた。
「あいつは……風丸(かぜまる)はっ……!」
 拳を握りしめ、ぎっと奥歯を噛んだ顔で、療は苦々しくその名を口にする。


 それは、時期長候補として有力だった療を陥れるための謀略だった。
 現長殺しの汚名を着せられ、水蓮を始め療を慕う者達に助けられて、療は命からがら里を脱出することが出来た。だが追手を差し向けられ、護衛として追従していた親しき者も失い、もう駄目かと思ったその時に、麗国主と大司徒に助け出されたのだ。
 追手を差し向け、姦計を企てた者の名を風丸といい、療と同じ時期長候補だった。


「……風丸とその一味の謀略はすぐに明らかになった。私達が彼らを見つけた時には、彼らはもう毒を飲んで息絶えていた」
「――――死んだ!?」
 療の言葉に水蓮は無言で頷く。
 力なく療は空笑いをした。
 思い出されるのは、執拗に攻め自分を追い詰めた風丸と。
 同じ長候補として切磋琢磨し、時折教えを請うた時の困惑しながらもまんざらでもなさそうだった、その姿。
 殺されかけた憎悪もあった。だがそれ以上に療にとって、どうしてという気持ちの方が強かったのだ。
「空になった長の座を、同志の頭であった私が継いだ。だが……」
 不意に水蓮の言葉が途切れた。
 厳しかった水蓮の表情が、再び切なく痛いものに変わる。
「だが、里の者は皆、貴方の帰りを待っている。療」
 それはきっと水蓮も同じ気持ちだったのだと、療はその表情で理解した。どうにかしたくて、再び抱きしめたくなる衝動を堪える。
 そして無言のまま、療は首を横に振った。
「……あの時、追手から自分を救ってくれたのは、叶様と、ここにいる紫雨だ。恩に報いるまでは、里に帰ることは出来ない」
 思い出すのは、麗河の冷たさと河瀬に叩きつけられた痛みと、息苦しさ。追手の数に圧倒され手も足も出なかった自分を、魔妖の王である叶と、天敵の総本山である大司徒に救われるという、『鬼族』の長候補として決してあってはならないことが起こった。だが、療はその恩を忘れることはないと、必ず返すと自分自身で誓ったのだ。
 分かっている、とばかりに水蓮はゆっくりと頷くと、紫雨の方へ向き、一礼をする。
 療の背後で驚きの気配が伝わってきた。療もまた、驚愕していた。
 気高い自尊心のある『鬼族』が、人に礼を執っている。
 それが療自身に対してのことなのだと自覚した時、療は堪えきれずに、彼に向き直った水蓮を再び抱き締めた。
 水蓮は優しく療の背を手を回すと、静かな口調でこう言った。
「……貴方が長だ。私は代理に過ぎない」
 だから、貴方の帰りをずっと待っている。
「水蓮……」
 水蓮がそっと療から離れると、療に向かって膝を折り頭を垂れる。
 療は何も言えず、水蓮を上から見つめていた。顔が見えなくなったことで、一線を引かれたような寂しさがあったが、自分を待つと言った言葉と、療に膝を折ることを選んだ水蓮の姿に、覚悟を決めて療は口にする。
「……申し渡す。現在仙猫山周辺で天妖である鵺が出没している。旅人が街道を通れなくなり、我らの生息範囲内である森に迂回をしている状態である。我々は叶様の命により鵺の偵察に向かう。その間、縄張りに踏み入れる人間に危害を加えることを禁ずる。全ての『鬼族』に下知せよ」
「……御意」
 水蓮は今一度深く礼をすると、高く飛び上がり、闇に紛れてその姿を消したのだ。
 療はしばらくの間、水蓮の消えた方向を見つめていた。







「全くお前といい、療といい、本当に隅には置けんな」
 くつくつと笑いながら楽しそうに言う紫雨に、竜紅人はげんなりとした表情をして香彩を見た。
「……どうにかしろよ、このおっさん」
「いや、無理」
 香彩も竜紅人と同じような表情をして、首を横に振る。
「療はそうかもしれないけど、俺はそんなんじゃないっつーの」
 竜紅人は大きな溜息を付いてそう言うと、何気に背後に視線を移した。
 ゆらりと、動く影がある。
「――――……っ!」
 影が大きく前に倒れ込むところを、竜紅人が走り込んで受け止めた。
「おい……っ!」
 大丈夫かと竜紅人は声をかける。
 竜紅人に助けられた少女は、いつ気が付いたのか、竜紅人に向かって歩き出そうとしていたのだ。
 少女の瞳が、そっと開かれる。
 それは竜紅人と同じ、伽羅色をしていた。
 ぼぉうとしていた焦点が竜紅人を見つめたその瞬間だった。
「……りゅ、こう……と」
 掠れた声だったが、確かに竜紅人の名前を、少女は呼んだのだ。
 少女は再び意識を失ったのか、その瞳を閉じた。
「――――(あおい)?」
 それは無意識の呼びかけだった。その名を呼んだ瞬間、自分の中にとても大きながらんどうな心と記憶があることに気付く。それ程無自覚な呼びかけだった。
「……って、誰だよ……」



 呆然と呟く竜紅人に、香彩と紫雨は無言で顔を見合わせたのだ。 
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