夢現奇譚 本編シリーズ長編

天昇

                                                                                            TopIndexBackNext

5.  


 白虎はうなり声を上げて、前方の土鬼を威嚇する。土鬼もまた牽制するが、動けずにいた。動けば白虎の風の刃が土鬼を吹き飛ばし、切り裂くことを経験で知っていたのだ。
 風が土を抉り、土埃を舞い上げるように、土属性は風に弱い。
 土鬼相手に戦うのなら、白虎はまさにうってつけだ。
 白虎が今度は天に向かい高らかに咆哮する。
 するとどうだろう。
 白虎を媒体に流れ込む術力が、先程香彩が張っていた結界と同じものを形成していく。風属性を媒体にしたその結界は、土鬼相手にはとても有効だろう。
 竜紅人と香彩は呆然とその様子を見ていた。
 白虎がここにいるということは、その術者もいるということだ。
 この術力の気配を、そして白虎を、ふたりはとてもよく知っていた。
「……たかがこれだけの土鬼に結界が破られるとは。まだまだ、だな。香彩」
「……むら……さめ?」
 三人が走ってきた方向から現れる長身の影があった。
 その姿に、気配で分かっていたとはいえ、香彩と竜紅人は驚き、戸惑う。本来ならば旅の途中で、しかも愚者の森の中で会えるはずのない人物だったからだ。『鬼族』が作り出した幻影か否かと思う気持ちもあったが、彼にしか扱えない式神が目の前にいる。
 悠然とした態度と足取りで、紫雨(むらさめ)と呼ばれた人物は竜紅人と香彩の前に現れた。
 歩を進める度に、結い上げられ背中に綺麗に揃えられた太陽の光のような金の髪が、さらりと揺れる。竜紅人と香彩を見るその目は、意志の強さの現れか、それとも三人に対する苛立ちの所為か、鋭さがあり、彫りが深く粗削りな顔立ちと相俟って、見る者に強く迫るかのような力強さがあった。
「おっさん……なんでここに」
 竜紅人の言葉に、紫雨が呆れたように短く息を付く。
「お前におっさんと言われたくないな。籍田皇(せきでんこう)の視察だ。碧麗で日も暮れたというのにわざわざ森に入っていくお前達も見たのでな。気は確かかとこうして追いかけてきたわけだ」
 籍田皇の視察、と聞いて竜紅人は納得する。


 籍田皇は国政の財政を管理する大司農の中でも、城主直轄地の財政管理を行う役職のことだ。
 街道沿いにある紅麗、碧麗が主な城主直轄地に当たる。このふたつの街は人の流れも金銭の流れも大きい為、半月に一度大宰(だいさい)自らが大僕(だいぼく)を引き連れて不正がないか、視察に訪れる。城主の懐刀と言われている大宰と大僕を視察に向かわせることで、紅麗と碧麗の長に牽制をかけているのだ。
 紫雨は麗国の六つからなる役職の統括である、大宰の任に就いている。それ以前は大司徒だ。だが時期大司徒になる者がまだ未成年の為に大司徒の『大いなる護りの力』を引き継ぐことが出来ず、紫雨は大宰と大司徒を兼任している状態だった。大宰である彼が大司徒の『おおいなる護りの力』のひとつである、風の式神白虎を扱えるのはそういった理由があった。
 今日が碧麗に置かれている籍田皇の視察だということ、そして紫雨が護衛に大司徒の式神である白虎を連れて森に入ったことに、竜紅人は何とも言い様のない違和感のようなものを感じたが、自分の心の内に止めておくことにする。たとえ何か大きな流れの中に身を投じてしまっていたとしても、すでに流され、行きつくところまで行きつくしかない程強い流れの中にいる、そんな気がしたのだ。
 


 理由を説明しながらも紫雨は視線を、竜紅人が立っている位置の後方へと変える。そして少し質の悪い笑みを浮かべ、まるで感嘆するかのように、ほぉうと頷く。
「しかも女の為に、この時間に森に入るとは。隅には置けないな、竜紅人」
「……」
 紫雨の物言いに竜紅人はぐっと詰まり、言い返すことが出来ないでいる。横にいる香彩は、ただ苦笑いだ。
 その笑い声に誘われるように、紫雨が香彩の方へ視線をやる。
「……後で、聞かせてもらうぞ。何があったのか」
 紫雨の言葉に、香彩はきょとんとした表情を見せた。
 その時だった。
 結界内に衝撃音が走った。
 土鬼が結界を壊すため、再び体当たりを始めたのだ。
 だが、先程と違っていたのはその結界の強さと相性だろう。
 幾度と立ち上がり体当たりを繰り返すことが出来た土鬼は、たった一度の体当たりで起き上がることが出来ないでいた。
 それを見た他の土鬼達が、じりじりと後退する。
 話ながら反撃の隙を伺っていた三人は、今が好機とばかりに身構えた。
 その体勢を止める者がある。
 先程まで無言で前方で何かを見据え牽制をしていた療が、攻撃するなとばかりに右腕を横に広げ、更に前に出たのだ。
「療っ!」
 竜紅人が呼びかけるが返事はない。
 白虎が非難するかのように、低くうなる。
 療は白虎を軽く撫でると、結界の外へ出てしまった。
「療っ!」
 今度は香彩が呼びかけるが、やはり返事はなかった。



 ざざぁ、と木の枝と葉の擦れる音が聞こえ、木の上にいた土鬼達が次々に地面に降り立つ。
 土鬼達は結界から出てきた療の姿を認めると、先程までとめどなく漏れ出していた殺気の気配や威嚇の気配を消してみせる。 
 そして。
 療に向かって片膝をつき、頭を垂れたのだ。






 だが療は気にする様子もなく、何かを牽制するかのように、ただ前方を見つめていた。

 
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