夢現奇譚 本編シリーズ長編

天昇

                                                                                              TopIndexBackNext

4. 

 

 楼閣の管理人に姐貴への礼を託し、竜紅人の宣告通り、三人は早朝にここを出た。
 空が白み、東の山の稜線が輝き始めると、雑木林のどこからともなく、鳥の鳴く声が聞こえ、きんと澄んだ空気の中を切るように飛び立つ。
 富者の別宅の沢山ある雑木林を抜けると、紅麗の中心街に出る。
 昨日の喧騒が嘘のように静まり、辺りには散らばった塵を片付ける者達が数人いるのみだった。だがそれもつかの間のことだろう。もう少し陽が昇ると、今度は朝市が始まり、再び街は活気づく。
 三人は街道沿いに南に進路を取って歩き始めた。
 香彩の歩調に合わせて、約一刻程で紅麗を抜けた。
 街外れの小さな屋台で軽く朝食を済まし、一行は更に南下する。
 紅麗を過ぎるとこの辺りの景色は平坦な草原となり、歩いている方向の彼方には、大きな山脈が見えた。
 麗国は北と南に大きな山脈がある以外は、なだらかな平原が広がり、大きな河がある。北山脈から流れて、国の中央でくねりと曲がり南西の海へと流れる麗川は、川魚が豊富で、海が遠い中央平原に住む者にとってはなくてはならないものだ。
 この視界がきく平原も、南へ行けば大きな森にぶつかる。
 南の山脈を護るかのように広がるこの森は、名を『愚者の森』といい、国土を四つに割ったうちの一つ分にも相当する程広い森だった。
 野生の獣や小物の魔妖の住み処となっており、またこの森の西側には鬼族(きぞく)と呼ばれる魔妖の里があった。
 鬼族は雷鬼、風鬼、炎鬼、土鬼の順に主従関係があり、魔妖の中では中堅だが、雷鬼族だけは『大物』に分類されるほど、その力は強く、妖力も甚大だという。
 比較的人と同じような生活を送り、姿も頭の角以外は人とほとんど変わらない。だが元来鬼族は人喰種(ひとくいしゅ)である。魔妖の王と交わされた古の契約より、人里を攻めるようなことはしないが、鬼族の縄張り範囲内に入り込んだ人間は、容赦なく狩られ食糧となる。
 人々は森の西側には滅多なことでは近づくことはなかったが、鵺の登場で街道を迂回せざるを得なくなった旅の者は、鬼族の縄張り範囲内に近い迂回道を利用している。道といっても数少ない人の利用者とそして、獣らが何度も踏みしめた獣道のようなものだ。



 日がやがて南中より西に傾いた頃、一行は次の目的地だった碧麗(へきれい)という宿場街に到着した。
 この宿場街は『愚者の森』の入口に近い場所にある為、昔から森抜けの街として利用されている街だった。ここで準備を整えて、翌日早朝に出発し日の沈むまでの間に、森の切れ目にある宿街に辿り着くように段取りを組むことが、暗黙のしきたりとされている。
 森を完全に抜けるまでは、安全のため決して夜に出歩いてはいけない。
 魔妖は夜になると活動し始める者が多く、また妖力も増す者も多いからだ。住み処である森を夜間に歩くことは、自殺行為に等しい。
 碧麗の街は紅麗に比べると繁華街が無く、宿屋を始め、食料品や雑貨を取り扱う商店と屋台が街道に沿って集まっている。紅麗の次に大きい街というだけあって、品揃えも良く、宿の数も豊富だ。
「……何だか人が少ない気がする」
 辺りを見回しながら香彩が言う。
 街道を歩く人の姿はまばらだった。しかもこの街に居を構える人の方が多く、旅装束の者は少数だった。
「本当だね。やっぱり紅麗に集中してたんだろうね」
 同じように辺りを見回して答えるのは療だ。
「この街は森の入口も近いし。いくら魔除けの『紅麗』があっても、鵺の妖気に充てられた魔妖が街に入ってくる可能性もないわけじゃないしね」

 療の言葉に香彩は、無意識に森のある方向を見る。
 街道を始め、この碧麗の街にも『紅麗』と呼ばれる、魔除けを施した紅の紙を燃やす燈籠がある。
 その灯は魔妖を遠ざけるが弱点が存在し、ある程度妖力の強い魔妖には効果がないのだ。力の強い魔妖は比例して知力も高く、人と同じ生活環境で生活していることも多い。だが妖力の弱い魔妖は獣にほぼ近く、鵺に触発されて活性化し始めると、『紅麗』をすり抜けてしまう可能性があるのだ。
 こうなるとやはり紅麗にいた方が情報も早いし安全だと、旅の者は紅麗を目指し滞在する。
「……宿、空いてるのかな?」
「……オイラはやってるのかどうかの方が気になるよ」
 人気が少ないとはいえ旅の者は決して皆無ではないが、果たしていつも通り宿が営業しているのかと言えば疑問だ。
「まだちょっと日が高いけど、早々に探した方が良さそうだね」
 香彩の言葉に療が頷く。
「ねぇ? りゅこ……」
 療は自分たちの後ろに歩いている竜紅人に振り返った。
 それでいいか、彼に聞く為に。


「え」
「――――っ!」
 香彩と療が見たその光景は。
 竜紅人がある方角へ走り出した姿だった。  
「駄目だっ竜ちゃん! 今からの時間は……っ!」
 反射的に療が走り出す。
 そう、竜紅人は『愚者の森』に向かって駆けていったのだ。






 どれだけ走っただろう。
 香彩は大きく息を切らせながら思った。
 竜紅人と療の気配を追いながら、香彩はひたすら追いかける。
 時折療の気配が止まるのは、こちらを気にしてのことだろう。
 人と比べ物にならないくらい、二人の足は速かった。まだ道らしい道を走ってくれているだけでも助かった。これで木々の間を飛ばれでもしたら、たまったものではない。
 進行方向から洩れていた黄金色の陽の光は、進めば進むほど鬱蒼となる森林についに埋もれてしまった。
 木々の隙間から見える空は、西日に彩られている。
(……夜が、来る)
 昼間に満ちていた陽の光の気配、陽の気が。
 夜と月の気配である、陰の気に変わるまさにその瞬間だった。
 それは悪寒に近い。
 背中にぞくっとしたものが通り抜けるそんな感覚。
(……妖気が)
 追いかけるその先で妖気を感じた。
 それもひとつではなかった。
 数は少しずつだが増えている。
 走る香彩の頭上そして左右の木々の枝が、何かの重みでしなり、返る。
 ざざっと音を立てて、同じ方向へ疾走しているようだった。
 無意識に香彩の足は速くなる。
 叶うのならなるべく早く、彼らと合流したかった。この森の中で、たったひとりで数に囲まれるのは避けたい。
 切らせる息を整える間もなく、香彩は右手の人差し指と中指を口の前に持っていき、息を切るような動作をする。すると、人の視界では見ることが困難になってきていた夕闇の暗さが、まるで昼間に歩いているかのように明るく見えるようになる。
 そして、きんとした冬の空気のような水の気配を伴う神気が、前方から感じられ、ようやくその姿を目に捉えることが出来た。
「竜紅人……療っ」
 近づく程に感じる、土の香り。
 竜紅人はその腕の中にある何かを庇いながら、土の気配に対して威嚇のために『力』を開放していたが、徐々に押されつつあった。
 香彩は竜紅人を一瞥すると、彼の前に躍り出て、一枚の札を空中へ放り投げる。札は意思を持ったかのように、香彩の頭上へ舞い上がる。
「陣!」
 香彩の『力』ある言葉に呼応し、札を中心に半円を描いた結界が、竜紅人、香彩、療を包み、広い範囲で展開する。
 うまく結界が作用したことを確認して、香彩は膝をついて大きく息を乱した。ずっと走り続けだった上に、術まで使ったのだ。
「……大丈夫か? 香彩」
 竜紅人の声に、香彩は手振りで大丈夫だということを伝える。
 視線だけを竜紅人に送ると、彼は結界内にあった大きな木の幹に、腕に抱いていたものをそっと寄り掛からせた。
(あれ……?)
 それが少女だということに、香彩はようやく気付く。
 気付くというよりは、やっと少女に見えたといったほうがいいだろうか。
 今のは一体なんだったのか。
 香彩が竜紅人に尋ねようとしたが、呼吸が上手く出来ずに咳き込む。
「ほら、焦るな。ゆっくり深く息を吸えって」
 思えば一体誰の所為でこんなことになっているのかという気持ちもなくはない。香彩は心内でそう思いながらも、深く息を吸っては吐いてを繰り返して、呼吸を落ち着かせる。
 香彩が落ち着いたことを見計らったのか、結界内に薄っすらと解放された気配に、香彩と竜紅人がそちらを見る。
 結界の端、先程まで走ってきた方向の一番端に、療がいた。
 療は竜紅人や香彩に振り返ることなく、前方を見据えている。
 威嚇、もしくは牽制。
 そんな言葉が香彩の頭の中に浮かぶ。
 普段なら抑えて込んでいる療の妖気が、少しずつ大きくなりつつあった。
 それに呼応するかのように、むせかえるような土の妖気の気配が辺りに漂っていた。
 ざざぁと木の葉の擦れる音が聞こえる。
 木々の間を縫うように移動しながら、徐々に数を増やしていく。
 ついにその中のひとりが、結界内に入ろうと上から飛び込んできた。
 だが衝撃音と共に、その身体が弾かれ、地に落ちる。
 それは『鬼族』と呼ばれるものだった。
 中でも土鬼族という、鬼族の中でも低位の鬼だ。姿形は人とあまり変わりはないが、頭には二本の角が生え、発達した犬歯を剥き出しにして、こちらを威嚇し続けている。
 先程竜紅人の気配が押されていた理由が分かる。土鬼は土の属性を持っている。対して竜紅人は水の属性だ。清流も土が混ざれば濁流となるように、水は土に弱い。それこそ竜紅人の攻撃の威力が半減してしまうくらいに。
 結界内に再び大きな音がした。始めはなかった地響きのような振動がして、香彩は身を竦める。
 土鬼が結界を破ろうと次々と体当たりをしていた。その度に結界内は揺れ、結界が働く術力によって土鬼は傷だらけになっていくのだが、全く頓着しない。
「……っ!」
 結界を維持している香彩が険しい顔をした。
 わずかにだが、結界が綻び出した。
 それを見逃す土鬼ではない。
 数は更に増える。まるで穴をあけるかのように、あらゆる方向から綻び部分に向かって体当たりを繰り返す。
 ぱりん……と、乾いた音がした。
 香彩はもう一枚札を取り出して、印を結ぶ。  と、同時だった。
 ひとりの土鬼が結界に体当たりをし、するりと結界内に入り込んだ次の瞬間。
 空間ははじけ飛ぶようにして、砕け散った。
 土鬼が歓喜の声を上げ、一斉に竜紅人と香彩に向かって飛び掛かる。



 その時だ。
 ごぉうと風が吹いた。
 嵐のような猛然たる烈風が、結界札のあった上空部分に巻き起こり、襲い掛かろうとしていた土鬼達を凪ぎ飛ばした。
 竜紅人と香彩の前に降り立ったそれは、土鬼に対して気高く咆哮する。
 その優美な巨体と四肢。
 柔らかそうな白い毛並みに、黒い縞模様。



 風の属性を持つ式神、白虎が悠然と顕現していたのだ。

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