夢現奇譚 本編シリーズ長編

天昇

                                                                                              TopIndexBackNext

2.  

「今、呼んだか?」
「は?」
「え?」
 竜紅人の唐突な問いに、療と香彩は思い思いに返事をした。
「誰も会話なんてしてなかったよ」
「多分空耳じゃないかな。街も随分活気のある時間帯になってきたし」
 二人に言われ、竜紅人は思案顔だ。
「……気のせい、か」
 なんとなく名前を呼ばれたような気がした。
 だがそれはきっと、飛び交う店の売り子の呼び声が、そう聞こえたのだと竜紅人は納得することにした。
「そんなことよりごはん、ごはん」
「屋台屋台」
 店に繰り出そうとする香彩と療の首根っこを、竜紅人ががっしりと掴む。
「先に宿だろうが!」


 麗国城下街、紅麗(くれい)
 麗城から少し離れた位置に存在するこの街は、麗国の中でも一番の賑わいと人が溢れる、首都とも言える街だ。その広さは街道とそれを取り巻くように建つ小さな集落や宿を含めると、国を四つ割った内の一つ分程に相当する。街道とそして街のいたるところに、『紅麗』と呼ばれる、魔除けを施した紅の紙を燃やす燈籠があり、人々を魔妖から護っている。『紅麗』がある場所での旅は比較的安全であり、また足元の見えない夜道を照らしてくれる街灯の役割も果たしている。  
 この街の名はこの『紅麗』からついたものだ。
 この街は夜になっても決して眠ることはない。燈された『紅麗』の明かりが、ぼんやりと夜の世界を彩り、昼とは違った別の顔を覗かせている。
 紅麗の中心部は昼間は活気溢れる市だ。様々な品物や食べ物が並び、売り子たちの張りのある声が響く。だが夜にもなればそこは歓楽街へと変わる。酒造屋を始め、薬屋や春画を売る屋台が出、昼間とはまた別の活気に満ち溢れる。
 竜紅人、香彩、療の三人は慣れた軽い足取りで、人の群れの中をすり抜けるようにして歩く。空気が少し乾燥していて、舞い上がる細かな砂礫を感じるけれど、気になる程でもない。
 日は既に傾き、道には人の長い影が落ちていた。
 今日はここで宿を探して一泊する予定である。宿の質さえ選ばなければ、たとえ日が落ちてしまっても三人でまとめて泊まれるだろう。
 だが。
「……申し訳ございません、あいにく本日は満室でして……」
 この言葉を何度聞いただろう。
 気落ちした様子で三人は何軒目かの宿を後にする。
「やっぱり、あれかなぁ?」
 ぼそりと香彩が言う。
「ここまで影響、来てるのかな」
「多分、そうじゃないかなぁ」
 思いを巡らせるように視線を上に向けて、香彩の疑問に答えたのは療だ。
「噂は早いからね。特に自分に不利益になる噂は、尾ひれを付けて回るから。それに国境を越えられないって分かったら、より大きな街に滞在していた方が、何かと便利だし、情報も早く入ってくるからね」 
 紅麗の宿の数は決して少ない方ではない。
 麗国一の大きな街というだけあって、上位の宿から相席宿までかなりの数が存在する。普段であれば、街道沿いに存在する小さな街や、宿場街などに人が分散するため、よほどのことがない限り紅麗で宿が取れないという事態にはならない。
 香彩は小さく嘆息して、宿で聞いた噂を思い出す。
 国境に魔妖が多数出没していて、人に被害が出ている。麗国城主は縛魔師を国境に派遣しているらしい。国境に出た魔妖は今までになく強い妖力の持ち主で、縛魔師が適うかどうか分からないらしい。
 状況は時と共に変わっていくものだ。噂の中には現在本当に起こっている情報もあるだろう。だがそれを吟味できる材料と言えば、自分が与えられた情報と経験しかない。竜紅人や療に比べて、圧倒的に経験が不足していることを、香彩は自覚しているつもりである。経験不足は時に、情報や噂によって混乱させられ、それによって起こりうる様々な物事に対して後手に回ってしまう。
 確実なのは、より正しい情報を手に入れることなのだ。
 香彩はふと、疑問に思った。その情報をこのふたりは。
「療や、竜紅人、って、……さ」
 歯切れの悪い物言いに、療と竜紅人が無言で香彩を見る。
 視線という名の圧力、眼力のようなものを香彩は感じ取った。
 喧噪の中にいるはずの自分達が、まるで時間の止まった空間の中に放り込まれたかのように、音というものが感じられない。
 それが療と竜紅人の『力』だと分かるのに、香彩は数秒かかった。香彩も同じように眼力を二人に返した途端、日常の喧噪とした音が戻ってくる。
「……ごめん、僕が悪かった」
「だよなぁ? あんまり無邪気に聞いていいことじゃないよなぁ? 特に療の場合なんか、下手をすると殺されるぞ」
 脱力気味に言う竜紅人に、療が物騒なこと言わないでよと反論する。
「いくらお前でも、それだけは教えられないから。お前も将来的には縛魔師独特の情報経路を知ることになるだろうけど、それは俺達も知らないし、知るとどうなってしまうのかも分かってる。共に在る為には、決して知ってはいけない部分もあるんだ、香彩」
 諭すように言う竜紅人の言葉に、香彩はそうだねと呟いた。
 療も竜紅人も情報自体を隠しているわけではない。必要であれば提示もするし、お互いに持っている情報と知識を交換して、相談することもある。だが、それがどういう経路で入手したものなのかは、決して話すことはないし、知られてはならないものだ。情報の流出は己の生命に関わることだということを、竜紅人と療は生まれながらにして知っている。情報経路を知ってしまった者を全力で排除するだろう。
 そして人の社会の中でも、同じことだ。
 噂は時に真実を凌駕し、真実に成り代わる場合もある。
 その時に正しい情報を得て、見極めることが出来なければ、翻弄される。社会的地位のある人間がそうなってしまえば、部下は決して上司を認めはしないだろう。情報を聞く度におろおろする上司に、誰がついていくだろうか。人の中には噂をわざと作りだし、情報を撹乱させる者もいるのだから。
「……駄目だなぁ、僕。全然駄目だ」
「お前が経験不足の未熟者だってぐらい、端から知ってる。だからこうやって”外”に出してるんだろうが」
 香彩が城の外へ出るようになったのは、ここ数年のことである。それまでは大司徒の甚大なる護守のある麗城中枢楼閣内で暮らしていた。勉学に励み、知識としてある程度は頭の中に入っているのだが、実際に外に出て経験してみないと身に付かないこともある。だが彼の父親が、香彩を城の外へやることを断固と言っていいほど反対した。それに対して猛反発をしたのが、竜紅人だ。竜紅人は何度が香彩を外へと連れ出したり、城主叶の勅命という名の使いを回してもらったりして、少しでも香彩に色々なことを経験させようとした。
 その甲斐があってか、香彩の実父は竜紅人付きでという折れた形で香彩の外出を認めた。そして彼が折れたことを知った叶は、ここぞとばかりに勅命という名の使いを香彩に頼むことになるのだが、今となっては竜紅人にとっては頭の痛い種だ。
「ま、オイラも竜紅人も初めから経験があったわけじゃないし、そもそもオイラ達と比べて根本的なものが全く違うんだから、あんまり駄目だとか思わない方がいいよ」
 療はそう言うと香彩に向かって、にこりと笑みを浮かべた。
「そうそう! 否定的なこと考えすぎると、自分自身に呪をかけてしまうぞ。特にお前の場合!」
 竜紅人が香彩を指差す。
「ただでさえ内に溜め込む性格だっつーのに、自分で駄目だだとか出来ないだとか思ってたら、出来るものも出来なくなっちまうだろうが。それに、お前おっさんにも言われてただろう。言葉を『音』 にする時は熟慮しろって。まさかとは思うがその意味合い分かってないとは、言わないよな?」
 竜紅人のその物言いに、香彩はぐっと言葉を詰まらせる。
 反論出来ずにいた。確かに竜紅人の言う通りなのだ。
 言葉は音に出すと重みと真実味を増す。
 『疲れた』や『駄目だ』といった負の印象のある言葉は、実は特にたいしたことのない事なのに、口に出した途端に精神に重みがかかる。『疲れた』を無意識に口癖にしている者は、知らず知らずの内にその言葉が持つ重みに精神的に疲弊していくのだ。
 言葉には『力』が宿っている。
 それは時には人を自身を救い、また時には人を自身を殺す凶器にもなる。
 自分自身の内で答えを探しているのか、黙り込んでしまった香彩に、竜紅人は今日何度吐いたか分からないため息を吐いた。
 日は既に落ちた。
 今はまだ明るいが、じきに暗くなるだろう。少しずつだが人の往来も増えてきている。昼間に活気の溢れていた市が店じまいを始め、代わりに料理した食べ物を出す屋台が店開きの準備を始めていた。肉を焼く匂い、煮炊き物をする匂いが風に乗って運ばれてくる。
「……で? どうするよ」
 竜紅人の言葉に、香彩と療はきょとんとした表情で彼を見た。
「宿だよ、宿!」
 ようやく思い出したかのようなふたりの様子に、竜紅人は軽く目元に手をやる。
 まだ城を出てから一日とて経っていないのに、何故こう何日も城を離れたような疲労感がするのだろう。
「最悪取れなかったら、伝手(つて)を頼るしかねぇけど」
 あんまり頼りにしたくねぇしな、という竜紅人に、香彩と療は複雑な表情で頷く。   
 もし宿が取れなければ、麗城が近い関係上、そして仕事上、頼る場所はいくらでもある。だがなるべく仕事関係には頼りたくないというのが本音だ。特に魔妖関連の事で動く場合、あまり余計な詮索を入れられると、有りもしない噂を立てられることもある。それは決して竜紅人達や城主叶にとって、友好的な噂でないことの方が多いのだ。
 三人は沈黙する。
 その深刻なまでの思案顔は、今から色街に繰りだそうとする陽気な人の流れとは、あまりにもかけ離れていたのか、流れの中の好奇心のある人は何事かと訝しんで彼らをじろじろと見つめた。店の売り子のかけ声すら彼らを避けるようだ。
 不意に。  
 香彩が視線を上げる。
 そしてつられるように、竜紅人そして療が視線を上げた。
「……おやおや」
 酒でほんの少し灼かれてはいるが、深みと色気のある高い声が、面白そうに言う。
 彼らの目の前には、大きく胸の開いた薄赤の衣を身に纏い、宝石のついた首飾りを幾重にも付けた女性が、にぃと猫を思わせる仕草で笑っていた。
「少年だねぇ。そんな深刻な顔をして、春画屋の前で一体何の相談だい?」
 春画屋、と聞いて三人が思わず後ろを振り返る。
 売り子の中年男性のにこやかな笑顔とぶつかって、三人は引き攣った笑顔を見せて 軽く会釈した。そしてついつい「売り物」に目がいってしまう。
 そこには天幕の張られた屋台があり、たくさんの売り物の「絵」が所狭しと並べられていた。「絵」は二種類の存在し、ほとんどが男女間の性の秘戯をあらわに描写した扇情的な絵画となっている。また一人絵といって、麗国で人気のある人物のあられもない艶美な姿を描いたものも存在する。こちらは女性の方にかなりの人気があって需要も高く、女性受けしやすいよう「春宵画」と名称を変えているのだという。
 視界に入った物の中に自分の春宵画を見つけてしまって、香彩はげんなりとした様子で先程の女性に振り返る。
 面白がって香彩のそれを見せようとした竜紅人の手を、ぺしりと療が叩いた。
「駄目だって竜ちゃん。お多感な年頃なんだからさ、変に落ち込んだらどうするんだよ」
「何をどう、落ち込むんだよ、たかが春宵画一枚で」
「自分の春宵画を女の人が買っていく時点でもなんとも言えない微妙な気分なのに、買うのは決して女の人だけじゃないんだよ。オイラだったらぜっったいに、見なかったことにしたいよ!」
 療が少し怒って、竜紅人に喰ってかかる。
「分かった、分かったって。だからそんなに喚くなって! それに……」
 言いながら竜紅人は香彩の方を見やる。
 香彩は大きくため息をついて、首を横に振っているところだった。
 『人物その1』をからかおうとした『人物その2』を止めるためにした行動が、結果的には『人物その1』にとどめを刺してしまう、というよくある話である。
「え?」
 竜紅人につられる形で療も、香彩の方を見る。
「……考えないようにしてたのに、何で全部口に出して言っちゃうのかなぁ? 療は」
 盛大にため息を吐いた後、香彩は療に向かってにこりと微笑む。
「なんなら、竜紅人と療の分も探してあげよっか? そして叶様のお土産にでもしようかな?」
 自分達の春宵画が、よりにもよって叶の手土産にされる。
 竜紅人と療は背中に何故か冷たいものを感じた。
 あの人ならば喜んで受け取り、妖気だか妖術だかよく分からない『力』を使って大量に複写して、行く先々にぺたぺたと貼っていくに違いない。そういう、いたずらや嫌がらせをさせたら天下一品なのだ、迷惑なことに。
 容易に想像できてしまって、竜紅人と療が、盛大に香彩に謝る。だが香彩はそ知らぬ顔だ。
 三人のそんな様子に、女性が声を上げて笑った。
「相変わらずだねぇ、あんたたち。叶様にいい土産ができてよかったじゃないかい」
 よくねぇよ、と咄嗟に竜紅人が噛みつく。
 香彩が改めて女性の方に向き直り、右手拳を自分の胸の上に置いて一礼をした。
 心真礼という。
 自分の上司までの位の者や、敬意を払うべき相手に対して行う礼である。
 「ご無沙汰しております。
姐貴(ジエ)
 香彩が顔を上げる。
 姐貴と呼ばれた女性は悠然と微笑んだ。
 彼女は紅麗及び紅麗が誇る色街界隈を仕切る(とう)だ。彼女の本当の名前を紅麗といい、この麗国の城下街とも言える紅麗の街の名は彼女からきている。彼女の父親が麗城の元大宰であったことから、彼女のことを親しみを込めて、紅麗公主、もしくは姐貴と呼んだ。
「本当に、実に久しぶりだねぇ。お前ときたら、遊びに来いと行っても言葉だけで、中々遊びに来やしない」
 姐貴の言葉に、香彩は苦笑いをした。
「あったり前だろうが、姐貴! 未成年の役職ある子供がお前んとこに出入りしてみろ。もう遊びを覚えたのかなどと変な噂が付いたらどうしてくれる」
 香彩を庇うようにして竜紅人が再び姐貴に噛みついた。
「それくらい箔が付いていた方が、何かとやりやすいってもんさ」
「やかましい!」
 竜紅人と姐貴のやりとりに、香彩と療は顔を見合わせた。
 毎回のことなのだが、このふたりは似た者同士なのか、馬が合わないのか、よくわからないくらいに反発しあうのだ。種族的に考えると、人と魔妖の混血である姐貴は、確かに竜紅人と反発する間柄なのだが、それとはまた違った何かが、このふたりの間にはあるのだろう。
「さて、ところでお前達、こんなところでどうしたんだい? まさか本当に春宵画選びに悩んでいたわけじゃあ、ないのだろう?」
 この姐貴の言葉に、当たり前だ、と竜紅人が喚く。
 香彩は紅麗に到着したものの、宿がなくて困っている旨を姐貴に話した。無論、叶からの勅命は包み隠して。  この言葉に姐貴は豪快に笑う。
「なぁんだ、そんなことかい! だったらうちに来ればいいじゃないか。宿代ならいらないよ! 夕食も共に豪勢に行こうじゃないか」
「……お前のとこは、連れ込み宿だろうがぁ!!」
 再び香彩を庇うようにして、竜紅人がおそらく本日最大の声量で姐貴に怒鳴った。
 すぐ横にいた香彩や療は勿論のこと、姐貴もその大きさに顔をしかめ、思わず耳を塞ぐ。
「失礼だねぇ。決してそれを売りにしている宿じゃないくらい、お前が一番よく知ってるだろう? ねぇ? 司冠(しこう)
 にぃ、と姐貴が笑う。
 その有無を言わさない笑みの迫力に、竜紅人はぐっと言葉に詰まる。
 竜紅人は、法令を司り、契約の証人の管理等を司どる『大司冠(だいしこう)』という役職の補佐、『司冠(しこう)』だ。大司冠の仕事の中には麗国内の商法、店舗の契約管理も含まれていて、大司冠の役職にあるものは月に一度、監査と称して、提出された商法内容に契約違反がないかどうかを調べるために、直接店舗に出向くのだ。
 姐貴の宿を何度か訪れたことはある。
 確かに連れ込みを売りにはしていないが、宿の一層目に食事処兼用の酒場があるため、そう思われてしまっても仕方のないことも事実だ。
 竜紅人は、くるりと姐貴に背を向けて、彼の背後で苦笑いしていた香彩の肩を抱き込む。
「……何そんなに警戒してるの?」
 姐貴に聞こえない程度の声で香彩が言う。
 香彩のその質問に竜紅人は、肩を抱いていた腕を上げて、香彩の頭を軽く小突く。
 痛い、と恨めしそうな視線を、香彩は竜紅人に向けた。
「あのなぁ……さっき俺が言ってたの聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ。仕事関係に頼りたくないってやつだろ? 姐貴はあまり関係じゃないか」
 甘い、と竜紅人は姐貴の方を軽く見やってから、言う。
「曲がりなりにも、彼女はこの色街界隈を仕切る連中の頭だ。しかも現役を離れたとはいえ、あいつの父親は元は大宰の身分にあった者だ。用心に越したことはない」
 大宰とは、麗城の役職の中でも城主の次に位が高く、そして『大』の位をもつ六の司官の統括だ。
 現役を離れて数年は経つが、まだたったの数年だ。培った人脈で、人を動かされては何かと都合が悪い。何か事が起こった時に、捕まれていた一見脈絡のない些細な情報が、城主を追い詰める材料にも成り兼ねないからだ。この国の性質上、退陣は許されず、手の中の傀儡に留めたい人間は一定数存在する。
 この国は遙かな昔に、魔妖の王であった天妖を王に据えて魔妖から身を護っている。魔妖に苦しめられる国々が存在する中、この国は古の盟約により、魔妖はこちらから手を出さない限り、危害を加えることが出来ない。また、この国で生まれた魔妖は被害がない限り、むやみに払うことは許されない。だがすべての人がそのことに納得をしているのかといえば、決してそうではないのだ。



 人はとても弱い生き物だから。
 弱いからこそ、魔妖の王であった天妖を王に祀り上げたのだ。



 肩を抱いて内緒話をする竜紅人と香彩を、少し離れた場所から見ていた療は、小さく嘆息し、姐貴を見る。内緒話といえども、療の聴力を持ってすれば、丸聞こえだ。
 そして、それは。
「あの子達は、私が半妖だってこと、忘れてるみたいだねぇ」
 そう、姐貴にも丸聞こえだった。
 療は苦笑いだ。
 守ることに重きを置いて、細かな流れを見切れないのは、竜紅人の悪い癖だ。
「しかし、どちらにしろ、早く決めた方が無難だねぇ」
 姐貴の声色が変わる。
 その空気の変わりように、竜紅人と香彩が姐貴の方に振り返る。
「もうすぐこの色街界隈は、夜の賑わいになる。そうなる前に宿を見つけて、夜は宿から出ない方がいい。『紅麗』を仕切る我々が、度々見回ってはいるが、やはり今からの時間は、特にこの子を連れているのなら、歩き回らない方がいいねぇ、竜紅人」
 姐貴から名指しされた竜紅人は、くっと息をつめたが、無言のままだ。
「……それって」
 姐貴の言う意味が分からず、香彩は問う。
 姐貴は一瞬きょとんとした表情を見せたが、思い切り表情を崩して笑った。
 戸惑う香彩に、療がため息をつきながら、香彩の肩に、とんと手を置いた。 そして香彩にそっと耳打ちする。
「糸口は春宵画」
「……???」
 いまいち分からない香彩は、ふと会話に入って来ない竜紅人を見た。
 竜紅人は姐貴を見据えたまま、無言だ。
「あの宿が体裁が悪いと言うのなら、私用の別宅を案内しよう。やつらは周到だ。有名な役職付きの子供が、夜に『外』に出たとなれば、どうなるかは明白だろう?」
 竜紅人は手をぐっと握りしめ、詰めていた息を吐く。



「……案内を頼む、姐貴」

 なんとも柄にもなく張り詰めた声を、香彩と療は聞いたのだ。

TopIndexBackNext
Copyright(C)2017 hotono yuuki All rights reserved. a template by flower&clover
inserted by FC2 system