夢現奇譚 本編シリーズ長編

天昇

                                                                                              TopIndexBackNext

1.  

 仙猫山(せんびょうさん)という名の山がある。
 麗国は南方の大きな山脈のひとつであり、隣国霊鷲山(りょうじゅせん)との国境に位置している。
 その昔、ほのかな淡い白い光を放つ不思議な山猫の魔妖が住んでいて、人々から怖れられていた。その山猫は千年を生きて、神格化したが人々は魔妖と思い込みついには狩りが行われた。それを哀れに思った、阿修羅神が自分の元へと召し抱えたことにより、魔妖の猫は仙猫と呼ばれるようになり、住んでいた山は仙猫山として崇められ、供物が送られるようになったのだという。
 今でもこの山は祀りが絶えない。
「しっかし、何でよりによってそんなところに降りたのかねぇ?」
 前を歩く香彩と療に向かって、竜紅人は独り言のように疑問を投げかけた。
「いくら天妖だからって、人目につくと下手をすれば狩られる可能性だってあるわけだろ?」  
 よほどの理由がないと普通降りねぇよなぁ、と言う竜紅人に対する返事はない。
 竜紅人が特に返事を求めているわけではなく、自分の中の考えを纏めるために、大きな独り言を言うことをふたりはよく知っていた。
 竜紅人は小さくため息をついて、今歩いているこの道の一番遠くを見据える。
 青々とした草原となだらかな丘が続く景色の中に、大小様々な大きさの石版を隙間なく埋め込まれたこの道は、街道と呼ばれている。
 始まりは麗国の中枢麗城から、果ては隣国霊鷲山の中枢まで続くこの道は、旅人や物資を運ぶ商人達の大切な龍脈のようなものだ。道幅もとても大きく、商人が使用する荷車や騎獣の行き来がしやすくなっている。また彼らが宿泊する施設も街道沿いに多く造られていて、街道の人の往来は決して少ないとは言えない。
 鵺は仙猫山の街道によく出没し、辺りを徘徊するという。
 体高が成人男性の胸の高さまであり、猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇、背には白い翼が生えているのが特徴だ。また雷を操ることを得意としている雷獣だといわれている。天上に住まう魔妖……天妖の一種だ。魔妖が神格化し、天に召し上げられたものを天妖という。魔妖特有の妖気は備わっているが、神格の証でもある神気も身に纏い、遠慮も深いことから、人々から畏れ崇められている存在だ。
 だが、その身の大きさと特徴から一度目にしてしまうと、よほどの剛の者でない限りは恐怖を感じ、逃げ出してしまうだろう。天妖は人を襲うことはしない。だが、天妖の妖気に触発されたその地に住まう魔妖や獣の活動が活発化し、人を襲う可能性が充分にあった。
 人は恐怖を感じ団結すると、神すらも自分達の害を成すものだといって排除してしまう生き物だ。
 天妖も流通を阻害するものと判断され、狩られてしまうだろう。
 そうなる前に何とか天に帰ってくれればいいのだが。
 竜紅人は小さくため息をつく。天妖といえども、天に住まう同胞だ。同胞が狩られたなどと、そんな話誰が聞きたいだろうか。
「……何かを、探すようだったって、聞いたけど……」
 何か落としたのかな、と竜紅人に振り返り、そう律儀に答えたのは香彩だ。
「そんな、わざわざ地上に降りてまで探しにくる落とし物って何だっつーの」
「確かにそうだよ。わざわざ降りてきてまで探さないよ。よほど大事なものじゃない限りは」
 香彩の問いに、竜紅人と療が答える。
「それに落とした物を探しているとも限らんし、そもそも探していること自体、憶測にすぎんのだから」
 竜紅人の言葉に、香彩が納得する。
 そう、全てが憶測に過ぎないのだ。話を聞いただけで、実際自分達が目にしたことだはないのだから、当然といえば当然だった。
 ただ分かっているのは、鵺は天から降りてきてしまった、ただこれだけだ。
 仙猫山へは大人の足で三日ほどかかる。
 竜紅人と療だけならばほぼ一日で着いてしまう距離だった。だがまだ少年である香彩がいるため、無理はできない。ざっと五日程かかるな、と竜紅人は心内でそう思った。
 街道は時折、なだらかかつ大きな草原の丘で道の先が見えなくなる。だが丘を越えると遙か先には大きな森が、そして更に先にはそびえ立つ険しい山脈が見える。仙猫山は、山脈のごく一部だ。確実にこの道は仙猫山へと続いていて、道さえ逸れなければ比 較的安全に目的地に辿り着ける。
 竜紅人の前を歩く香彩と療は、鵺が何故降りてきたのかについて、あれこれと自分の憶測を話している。歩きながらの会話の為、その内香彩が自分で自分の足をひっかけてこけるのではないかと、竜紅人は気が気ではなかった。
「香彩、話に夢中になるのはいいが、前見て歩け前!」
「また、そうやって僕を子供扱いするし」
「子供だろうが、実際」
 竜紅人の言葉に、香彩がむっとした表情を見せる。
「……あの、僕今年でもうすぐ十五になるんですが」
「何歳になろうが、俺にとってはお前は子供だっつーの」
「……同じ歳のくせにー!」
 香彩は背伸びをして体全体で抗議をしている。竜紅人の身長が香彩の頭ひとつ分ほど高いからだ。  その動作そのものが子供だというのに、と竜紅人は思ったが言うと香彩の機嫌が悪くなりそうだったので黙っておくことにする。
「確かに肉体年齢は一緒だがな、精神的な年齢が違うだろうが、全然」
 竜紅人の言葉に横で顛末を面白そうに見ていた療が、思わず吹き出した。
「ひ、ひど……」
 香彩はあたかも衝撃を受けたかのような顔をして、竜紅人から視線を逸らす。
 竜紅人は大きくため息をついた。
「わざとらしいって、お前」
「……何で分かるんだろう?」
 香彩は少し肩を落として、拗ねたような表情を見せた。確かにいつもそうだったのだ。
 表情を読まれたり、次にしようとしている行動が何故か竜紅人には分かってしまう。それが香彩にとっては、あまり面白くないのだ。
 竜紅人は思わず吹き出しそうになる。
「当たり前だ。何年お前を見てきたと思ってるんだ? 俺はお前が乳飲み子の頃からお前の面倒を見てきているんだ。だいたい、昔のお前はすぐ何もない所でこけて……」
「だーっ! 分かった、ちゃんと前を見て歩くから! こけないように前向くから! だから僕の昔話はやめよう! ね? ね? 竜紅人」
 この様子に、今度こそ声に出して大笑いをした療である。
「そうだよね、香彩。十五にもなって、小さい頃のお前はこうだったって話されたら、たまんないよねー?」  オイラだったら即効やさぐれてるよ、という療が爆笑しながら言う。
「笑いながら言われても、説得力ないんだけど」
「ほら、前見ろって! 本気でこけるぞ、お前は」
「もう! 分かってる……!」
 突如、竜紅人の視界から香彩が消えた。
 ずしゃあと派手な音を立てて、街道の石版の上を滑るようにして、香彩が見事にこけたのだ。
「ほぉうら、言わんこっちゃない」
「だ、大丈夫? 香彩」
「……ちょっと痛い」
 香彩はこけた時に膝と手をついたらしく、そのままの状態でしばらくじっとしていた。
 療は心配そうに香彩の顔をのぞき込み、竜紅人は半ば呆れ気味に嘆息する。
 香彩が立ち上がり、衣服についた汚れを払う。
 その手の、庇うような様子を竜紅人が見逃すはずもなく。
「ほら、手。見せてみろ」
 「……本当に何で分かるんだろう?」
 香彩は素直に両の手を開いて見せた。
 出血こそしていないが、石版の角で切ったのだろう、切傷や擦傷があった。
 竜紅人は自分の左手を軽くそえて、右の手の平を翳す。
 常人には見えない、ほのかな白い光がそっと香彩の両手を包み込む。
 まるで冬の日差しのようだと香彩は、竜紅人のこの”力”を視る度にそう思うのだ。しん、とした冬の澄み切った空気のような『気』の中に、感じられる癒しの暖かさがそう思わせるのだろうか。
 竜紅人が手を下ろした時には、香彩の手の平にあった傷はどこにも見当たらなかった。
「いつ見ても、すごいよね」
 療に向かって、香彩が言う。療は返事を返さず、ただ笑むばかりだ。
 香彩の言葉に、竜紅人は何事もなかったかのように、普通だ、と返す。
 彼にとってはごくありふれたの癒しの”力”だ。だが人々はこの”力”と気配を『神気』と呼び、神聖なものとして崇めている。
 彼は人ではない。形こそ、人のそれをとってはいるが、その正体は天に住まう真竜と呼ばれ謳われるものだ。その姿は蝙蝠の羽の生えた石竜子に似ている。巨大かつ優美で、重さを感じさせない。太古の昔から人を守護する存在であり、人の生活の一部である祀りに大きく関わる存在であると謳われている為、彼らを畏れ敬い、こう呼ぶようになったのだという。
 『謳われるもの』と。
「でも竜ちゃん、まだ幼竜だから成竜になったら、もっとすごいんだろうね」
 自分の手の治った様子に目を輝かせて見ている香彩に、療は言う。
 幼竜、という言葉のあまりの似合わさに、だがそういえばとばかりに香彩はまじまじと竜紅人を見た。竜紅人はげんなりとした様子で嘆息する。
 「療……お前なぁ、その言い方されると俺が子供みたいだろうが」
「でも、事実だろ?」
 にっこりと笑う療の姿に、竜紅人は頭痛を覚えたのか額を手の平で覆う。
 先程まで香彩を子供扱いしていた竜紅人だが、竜紅人自身の「肉体年齢」は確かにまだ、「子供」なのだ。
 香彩は知識として頭の中に入れたものを、なんとかして記憶の奥から引っ張り出す。
「ああ、そっか。竜紅人が『覚醒』すれば『神気』が格段に上がるんだね」
「うん、そういうこと」
 『謳われるもの』は実に不思議な生き物だ。
 彼らは卵形で産まれ、産まれてすぐは繭に包まれている。およそ地上の年月の流れでいう、百年程経つと自分で繭を割って竜形で誕生する。その頃には言葉も理解し、自分が何者であるのか自我を持っている。
 その後彼らは地上に送られ、地上の由緒正しき場所に預けられる。地上の方が時の流れが早く、身体を成長させられるからだ。
 この時を境に年齢を一歳と数え、七、八歳くらいまでは人形と竜形の両方を取ることが出来る。だがある時を過ぎると人形しか取れなくなり、『覚醒』が起きるまでは竜形を取ることができないのだという。
 この『覚醒』が起きて竜形を取ることができるようになって、初めて成竜と認められるのだ。
 竜紅人はまだ『覚醒』を迎えていない。
 ある時から竜形ではなくなった竜紅人を、香彩はよく覚えていた。
 そしてそれは成長の段階なのだと、教えられたのだ。
 すごいね、と香彩と療がうんうん頷き合ってる姿に、竜紅人は何かを悟ったのだろう、すたすたと彼らの前を歩き始める。
 竜紅人の心情はとても複雑だ。幼竜と言われたこともそうだが、何より笑顔で自分のことを語り合う香彩と療をあまり見ていたくないというのが本音だった。端から見れば仲の良いふたりが、ひとりをからかって楽しんでいる微笑ましい光景だろう。実際に香彩と療は仲が良い。だが生態的に見るとそれは大きな間違いなのだ。
 『謳われるもの』の生態は、意外に知られている。
 特に香彩を初めとする縛魔師は、『謳われるもの』の生態を知識として叩き込まれる。国の祭祀を行う縛魔師にとって、『謳われるもの』は”力”の源であり、”力”の助力を得る存在だからだ。
 そして療もまた、知識として『謳われるもの』の生態を熟知している。
 何故なら、本来ならば真竜は天敵だからだ。そして真竜が力を貸す縛魔師もまた、脅威ある天敵であり、縛魔師から見てもまた脅威であった。
 訳あって彼らは今、共に在るがそれは理性が本能を凌駕しているのに過ぎない。

「ほら、急ぐぞ! 夕暮れまでには街に着かねぇと、屋台の飯、食いっ逸れるぞ」
 気付けば竜紅人は随分前を歩いていた。
「ごはん!」
「オイラの飯!」
 香彩と療は顔を見合わせてから、一斉に走り出した。前を歩いていた竜紅人を追い越し、更に走り続ける。
「走るな! またこけるだろうが!」
 竜紅人の怒声が響くが、言われた当の本人の姿は丘の向こうへ消え、はーいと返事をする声も、どんどんと遠ざかっていく。
 竜紅人は今日何回目になるか分からない、溜息をついた。



 不意に。
 竜紅人は後ろを振り返った。
 自分達が歩いてきた街道となだらかな丘が目に入る。
 青々とした草原に、ざぁと一陣の風が吹いた。草原の茂みにいた鳥が何かを感じて一斉に飛び立つ。風は竜紅人の鳶色の髪を靡かせ、乱れさせる。
 何かに呼ばれた感じがした。
 何かに視られた感じがした。
 そんな妙な気配と視線を感じたが、今はその奇妙な感じは消え失せていた。
 まさに刹那だった。
「……気のせい、か」
 遠くで竜紅人を呼ぶ香彩の声が響き渡る。
 その無防備さに、思わず頭を抱えた。
(……こういうのを何て言うんだっけか。親の心子知らず? 親じゃねぇけど)
 何とも言えない気分を抱えたまま、竜紅人は前の二人に追いつくために、走り出した。
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