「これで大丈夫っと」
張られた結界の具合を見て、
だが振り向いて見たそのなんともいえない光景に、毎月のことながら、げんなりした様子で大きくため息をついた。
積み上げられた大量の粗大ごみは、ここにあるぞとばかりに存在感があったのだ。
ここ麗城中枢楼閣は、中庭の一角。
官達の憩いの場となっている、中央の中庭から少し外れた、人気の少ないこの場所は今、高々と積まれた粗大ごみで溢れかえっていた。
そのたくさんのごみを、受け付けて、せわしく動いては積み上げているたくさんの”今月の粗大ごみ当番”である、縛魔師達の姿があった。
今日は月に一度の中枢楼閣の粗大ごみの日である。
生の物以外の、大小いらなくなった『物』が集められる日だ。
捨てられたものをざっと見ただけでも、使わなくなった茶釜や折れた筆、記帳台、御簾台に弦楽器、執務用の机などの様々な物がある。これらは決定的な何かが欠けていたため、ごみとなったものだ。たとえばこの茶釜なんかは、持ち手が折れてしまった上、蓋がない。これでは茶釜としては扱いにくいだろう。
「……これで、全部?」
「みたいですね。もう捨てに来る様子もないみたいですし」
香彩の問いに答えるのは、香彩よりも少し年上の青年の縛魔師、
「例の”気配”も感じられませんし、始めてもよろしいかと」
「そう、だね」
再び、積み上げられた粗大ごみを見上げ、香彩はげんなりとした様子を見せた。
「しかし、毎月毎月よくもこんなに出すよね、ごみ」
「ただ純粋にごみだとも、限りませんしね。定期的に新しい物に変えておきたいから、捨てにくる者も多いですし」
「もったいないなぁ」
「九十九神になられるよりは、いいと思いますよ」
いや、そりゃそうなんだけどさ、と呟く香彩の様子に、寧はくすりと笑う。
集められた粗大ごみを処分する役割を持っているのは、意外にも縛魔師である。
国での役職名を大司徒、司徒といい、国の安定と安寧を願い、祈祷や占術、そして季節ごとの祀りの行使を仕事としている。縛魔師は、体内に”術力”という力が無いと官になる資格がないことから、他の役職に比べると特別視される特殊技能職である。
通常の国試以外にも技能試験があり、それにこの”粗大ごみ処理”が使われていることが多い。さほど難しくない焔の召還術を使う上に、月に一度必ずこの”粗大ごみ処理”を行わなければならないからだ。
物は念が籠もりやすい上に、ある程度の年月を使うと、意思を宿し、人の言葉を理解できるようになる。九十九神になるのだ。害はあまりないのだが、自分の物が意思を持って動き回ることに、嫌がる者もいる。だから、粗大ごみと称して九十九神になる前に、今まで働いてくれたことへの感謝の気持ちを込めて、浄火の焔で燃やしてしまうのである。
それが月に一度。
中には九十九神になることを怖れて、必ず毎回捨てにくる強者もいる。 その分の経費は一体どこから出てくるのだろうか。
「さ、はじめましょうか、香彩様」
促されて、香彩は気合いを入れ直すため、再度大きく息をついた。
数人の縛魔師達が、粗大ごみを円で囲むようにして立っていた。
紅筆で紋様が描かれている札を左手で持ち、右手で宙に紋様を描き、印を結ぶ。
「伏して願い奉る。天に在らせられる、清浄たる天狐の焔よ。今ここに降火し、不浄たる物の念を冷ややかな熱き焔にて、浄火したまえ」
縛魔師達が一斉に札を投げると、冷ややかな蒼色を伴った熱い焔が、勢い強く粗大ごみを巻き込んで燃え上がる。
天狐の蒼い焔は、粗大ごみを跡形もなく燃やし尽くし、その灰すらも舞い上げ、天へ昇るだろう。結界が張られているため、焔が燃え移る心配もなければ、焔の熱さにやられる心配もない。
後はしっかりと燃えてなくなっていく粗大ごみたちを、見張るだけだ。
やれやれとばかりに縛魔師達が腰を降ろし、持ち込んだ水を飲んだり、握り飯を食べたりと思い思いに過ごす。
香彩が水を飲んでいると、寧が大きな瓶を持って香彩の横に座った。
「……差し入れですよ、某誰か様から」
面白そうに言う寧に、誰か様って何?と心内で思いながら香彩はため息をつく。
「さすがに、真っ昼間から酒はよくないんじゃない?」
「さすがに、真っ昼間からは飲みませんよ、真っ昼間からは」
粗大ごみが全て燃え尽きる時間は、昼から燃やし始めて、丁度明日になるかならないかといった、夜も更けた時間帯だ。当然当番の者は、焔の近くで夕食を済まさなければならなくなる。ならばいっそのこと、焔の明るさを利用してしまえばいいではないか、と言い始めたのは、某誰か様だ。それからは毎月慣例となっている。
きっと日が暮れるのと同時に酒盛りが始まるのだろう。
ある意味”粗大ごみ当番”としての特権である。
寧が持っている酒の瓶の銘柄を、
ごん、という鈍い音がした。
見ると、寧が顔に笑顔を張り付かせたまま、地に倒れようとしていた。
「寧!」
寧を抱きとめ、酒が割れないようにとちゃっかりと受け止めて、香彩は感じた気配の方向を見やる。
がらんごろんがらんごろん、と音を立てて地に落ちたそれは。
茶釜だった。
寧はどうやらあれが頭に当たったようで、痛そうなくぐもった声を出して、痛みに耐えている。
『ぎしぎしぎし、ぎしぎしぎし』
茶釜はその体を揺らしていたかと思うと、突如頭と手足と尾が生えた。
その手足は短く、尾はしっかりとして太い。ずんぐりとしてるだろう体つきは、茶釜の中で見えない。体色は灰褐色で、目の周りや足は黒っぽくなっている。
つぶらなその目は黒く、何やら言いたげに、うるうるとしていた。
その姿は紛れもなく、むじな、であった。
どうやら茶釜の九十九神が取っている姿らしかったが、どうもそれがなんだか可愛いというか可笑しいというか、なんとも言えない姿だったため、香彩を初め周りにいた縛魔師達が集まってくる。
「おい、こんな九十九神の報告ってあったか?」
「さぁ?」
「おいで、おいで」
縛魔師たちが口々にむじなの茶釜に話しかける。
『ぎしぎしぎし、ぎしぎしぎし』
何かを必死に訴えながら目をうるうるさせていたむじなの茶釜は、縛魔師達の間をすり抜け、ゆっくり、ゆっくりと後退しはじめる。
そして、一目散に逃げ出したのだ。
これにはさすがの縛魔師達も意表を突かれた。
妙にちんちくりんなその愛嬌のある姿を見ていたため、一瞬逃げたことが分からなかったのだ。
「誰か! 寧の介抱を!」
香彩が叫ぶ。
やってきた数人の縛魔師によって寧と酒が抱えられる。
「数人、焔の前で待機。後は、捕獲に回って! 決して傷つけないように、いいね」
今日はどうも気分が乗らない。
だがどんなにため息をついても、目の前の積まれた書類は消えてはくれないのだ。
ここ麗城中枢楼閣は第一層目、法令を司り、契約の証人の管理等を司どる、大司冠と呼ばれる役職の政務室である。ここでは大司冠を初め、補佐である司冠他数人の司官達が日々の努めに励んでいる。また中枢楼閣から外には、大司冠館と呼ばれる裁判や司法、契約に関する書類の受付等を行う建物があり、百人近い司官が努めを果たしている。
竜紅人は司冠と呼ばれる、大司冠の補佐だ。
その能力と存在と人柄を買われて補佐となったのは、もう随分と前のことである。竜紅人自身が人を裁いたり、法令を決めたりするのではないが、彼の慈悲深さと冷静さ、そして存在そのものが事を運ぶのにとても重要な役割を果たしている。
書類の一枚を手に取り、目を通す。
いつもならば簡単に一通り速読し、簡単に終わらせてしまうことができる、この裁判に関する事務仕事も、何故だが今日は奇妙なくらいに進まない。気が急いているのか、胸の奥がひどくざわめくようなそんな感じが、離れてくれないのだ。
硯の中は擦ったばかりの墨がなみなみ残っているうえに、筆は乾いたままである。初めは整頓されていた書類も、目を通したようで頭に入っていない感じを繰り返した挙げ句に、だんだんと乱雑に扱われ、気付けば卓子の上は散らかり放題である。
「……だめだだめだ!」
持っていた書類をぽいと投げ捨てるようにして放す。
「集中できやしねぇよ、ったく。こういう時は飯か、寝るのが一番だよな!」
日はすでに高く上がっていて、もうすぐ昼を知らせる鐘が鳴るだろう。 それまでひとねむりでもしようと、竜紅人は隣室へと続く引き戸に手をかけた。
その時だ。
がしゃんなり、どたんなりと、何かを割ったり倒したりしている、けたたましい物音が、部屋から聞こえてきた。 何事かと、思い切って引き戸を開けてみると、部屋の中は竜紅人の卓子と同じように、散らかり放題になっていた。
休憩用の仮眠室である。寝台がふたつに、茶飲用の丸い卓子がひとつ置いてある以外は特に目立って何もない部屋なのだが、卓子はひっくり返り、どこから出てきたのか湯呑みが複数割れて、欠けらが散乱している。寝台に用意されている薄手の掛物は、うす汚れて足跡のようなものが点々と付き、くしゃくしゃになっていた。
「……何だよ、これ」
竜紅人は疲れが一度に襲ってきたかのような、とても大きくため息をついた。
どこからか獣でも入り込んだのだろうか。
「片付けないといけないよなぁ」
とりあえずは湯飲みの大きな欠片だけでも取っておこうと、竜紅人が手を伸ばした。
「ん?」
伸ばす手を引っ込める。
どこからともなく、かたかたかたかたと、何かが小刻みに揺れる音が聞こえた。
しばらくするとその音が止む。
「……気のせいか」
再び竜紅人が湯飲みの欠片に手を伸ばすと。
「んん?」
かたかた、かたかた、と何か金属的な物が揺れる音がした。
そして微かにだが、流れてくる匂いのようなもの。
「獣は獣でも、普通の獣じゃない、ってか」
はぁあ、と息を吐きながら、竜紅人は片手で雑に頭を掻く。
寝台が影になっている部屋の、一番奥から感じる明らかな妖気。微弱な魔妖の気配を竜紅人は感じていた。
麗城は陰陽縛魔師の筆頭、大司徒の強力な護守と呼ばれる結界で守られている。ここ中枢楼閣も結界内であり、ほとんどの魔妖は大司徒の許可がなくては入ってくることが出来ない。だがそれはあくまでも『大物』を対象としているため、害のない小さな魔妖は結界をすり抜けてしまうこともあるのだ。
竜紅人はそっと寝台の影を覗き込む。
はた、と合う視線。
まんまるい目を更にまるくして、小さな魔妖はそこにいた。
(……魔妖だけど、魔妖と言うよりこれは)
短い手足に太い尾、そしてむじなの頭を茶釜からひょっこりと出している。
「九十九……神、か?」
かたかたかたかたと音がするのは、この小さな魔妖が震えているからだと竜紅人は理解した。まあるい目は、ひどく潤んでいて愛らしいことこのうえないのだが、このままにしておくわけにもいかない。
「どうした、お前。こんなところで。迷子か?」
竜紅人が優しく語りかける。
だがむじなの茶釜は、竜紅人を上目遣いで見つめたまま、何も返さない。
さてどうしたものかと、むじなの茶釜の様子を見ていた竜紅人はあることに気付いた。何となくだがむじなの茶釜の体全体が煤っぽいのである。おまけに色んなところにぶつかってきたのか、ところどころに小さな傷を作っている。
「ったく、暴れたりするから」
竜紅人はむじなの茶釜に向かって手を翳す。
怯えが更に増した小さな魔妖に大丈夫と宥めて、意識を自分の手に集中させた。
手はほのかな白い光を放ち、徐々にむじなの茶釜を包み込んでいく。
するとどうだろう。むじなの茶釜のたくさんあった小さな傷が、みるみるうちに治っていった。
竜紅人にとってはごく当たり前の癒しの力だが、人はその白い気配を『神気』と呼び、神聖なものとして崇めている。彼は人の形を取っているが、その正体は天に住まう真竜と呼ばれる『謳われるもの』だ。
『謳われるもの』は人を保護する存在であり、また人の生活の一部である祀りに大きく関わりのある存在でもある。また実際に祭祀を行う縛魔師の持つ術の源でもあった。
「よし、これで大丈夫だろうよ。どうだ、痛くないだろう?」
竜紅人の言葉に、むじなの茶釜は少し驚いたかのように自分の体を見回していたが、途端に笑顔になり、こくりと頷いた。
と、同時に聞こえる腹の虫。
きゅうう、と茶釜の腹の部分をほとんど届いてない短い手で押さえて、むじなの茶釜は何かを訴えるように竜紅人を見ている。 「何だよお前、おなか空いてるのか?」
こくりこくりと頷く小さな魔妖に、竜紅人は九十九神って何食うんだよと思いながらも、懐を漁る。手に当たったのは、朝餉の後に出てきた饅頭だ。
「これしかないけど、食うか?」
饅頭を貰ったむじなの茶釜は、初めは匂いを嗅いだり突いたりしていたが、一口を口に入れると見る見るうちに喜びの表情に変わり、ぺろりと食べてしまった。
「ぎし!」
「そっかそっか、美味しかったかよかったな。ところでお前、こんなとこでどうしたんだ?」
竜紅人がそう聞いた途端、笑顔であったむじなの茶釜の表情が、がらりと変わった。
「ぎしぎしぎし! ぎしぎしぎしし」
目をうるうると潤ませながら、事を状況を説明し始める。
「ぎしぎしぎぎし。ぎしぎしぎし」
「うんうん、今日はいつもと違って熟睡をしてしまったと」
「ぎしぎしぎし、ぎしししし」
「そうして気付いたら焔の中にいて、燃やされてしまいそうになったと」
「ぎししししし!ぎしししししし」
「命からがら逃げてきたけど、今も追いかけられてるわけ」
そうして、捕まったら燃やされてしまうと、むじなの茶釜はぎしぎしと泣き始めた。
なるほどなと竜紅人は思った。
確か今日は粗大ごみの日だったはずだ。その中に九十九神がいると気付かずに、焔の召還をしたということか。
どうりで背後にいる気配の者が、息を切らせているはずである。
「で? 追いかけてきたのか。香彩」
竜紅人のその言葉に、むじなの茶釜は再び怯えた表情を見せる。
部屋の入口には、まだ息の整っていない様子の香彩がいた。
「……ったく、ちゃんと確認してから、燃やせよ。かわいそうに」
「ごめん。気配がなかったから九十九神がいるなんて思わなくて」
「謝る相手が違うだろ」
竜紅人にそう言われ、香彩がむじなの茶釜に膝を折る。
「ごめんね。もう少しで燃やしちゃうところだった」
茶釜はきょとんとして、竜紅人に問う。
九十九神は燃やされるのではないのか、と。
だが香彩には、むじなの茶釜が何やらきしきしと言ってるようにしか聞こえない。
「何?なんて言ってるの?」
「九十九神は燃やされるんじゃないのか、って。ちゃんと説明してやれよ。変な誤解をしてるぞ、こいつ」
むじなの茶釜はきょとんとして、ふたりを見ている。
「……九十九神にならないように、燃やすんだ。だから九十九神になってしまったから、燃やすわけじゃないんだよ。麗国麗城で生命を得た魔妖は、害が及ばない限りは、むやみやたらに祓ってはいけないんだ、ぼくたちは」
それは九十九神も魔妖の一部だからだ。
害が及ばない限りは、それは生命として扱わなければならない。それが古の魔妖の王との盟約だった。
茶釜がしきりに、きしきしという。
「じゃあ、ここにいてもいいの? だって」
「あまりいたずらとか、しないんだったら、いてもいいと思うよ」
香彩がそういった瞬間。
むじなの茶釜が、わんわんと鳴き出した。
よほど嬉しかったのだろう、竜紅人にごんと胸に飛びついて、ぎしぎしぎしぎし鳴いていた。
「……つーかお前自分が茶釜だっていう自覚あるのか!」
茶釜に飛びつかれて痛そうにしている竜紅人を、香彩は微笑ましく見ている。
竜紅人は恨みがましく、香彩を睨んだ。
「お前そこ! あたたかく見守ってるんじゃない!」
後日。
竜紅人の歩く後を追いかける、むじなの茶釜の姿をよく見かけるようになる。
がらんごろん、がらんごろんと音を立てながら、たまに竜紅人にまんじゅうくれ、まんじゅうくれと言うらしく、辟易としながらもまんざらでもない竜紅人の姿があったのだという。
<終>